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古代ギリシャといえば、パルテノン神殿がそびえ立つアテネ、
映画『300』や厳しい教育のあり方で有名なスパルタなどをまずは思い浮かべることでしょう。
しかし、これらの都市国家が存在する1000年以上の前から、ギリシャには文明が存在していました。
ギリシャのクレタ島で始まり、絢爛豪華なクノッソス宮殿を建てたミノア文明
トロイ戦争英雄であるアガメムノンのものと言われる黄金のマスクが出土したミケーネ文明
そしてミケーネとの間に熾烈な戦争を繰り広げた小アジアのトロイ文明
エーゲ海を中心に栄えたこれらの文明はエーゲ文明と呼ばれています。
しかし、ギリシャの優美な文明の元となるこれらの文明はどのような文化を持ち、どのような歴史をたどってきたのでしょうか。
これらについて説明していきたいと思います。
石器文化から青銅器文化へ

キクラデス文明の土偶/Wikipediaより引用
ヨーロッパとアジアの接点であるエーゲ海地域に文明の火が灯るのは、紀元前3000年頃と言われています。
この頃エーゲ海にある数多の島々には今までの石器文化とは異なる青銅器文化が出現します。
エーゲ海における金石混合の文化は、その中心となったキクラデス諸島の名前からキクラデス文化とよばれています。
このような感じでギリシャ本土にはヘラディック文化と呼ばれるものやクレタ島にはクレタ文化などが芽生えました。
また、エーゲ海の東には小アジアのトロイに最初に集落が築かれたものこの時期と言われています。
しかし、このうちヘラディック文化とキクラデス文化は、紀元前2000年頃に謎に停滞していくことになります。
この終焉の原因はよく理解されていないようですが、一説には後のギリシャ人の祖先であるイオニア人などの民族によって滅亡したとされています。
クレタ島に現れたミノア文明の歴史

ミノア文明の中心であるクノッソス宮殿/Wikipediaから引用
同じころのクレタ島は中北部のクノッソス宮殿を始めとする宮殿が建設し始められました。
これをミノア文明と呼びます。
ミノア文明では後のギリシャ語とは全く異なる文字を持っていました。
ミノア文明はその後約500年にわたって繁栄し、その文物はエーゲ海の島々、さらにはギリシャ半島へと伝わっていきました。
そして遂には地中海のキプロス島やエジプトのまで影響を与えるほどになりますが、
しかしそんなミノア文明も、次なる文明であるミケーネ文明によって、次第にエーゲ海における主導権を奪われていくことになります。
ギリシャ本土のペロポネソス半島に興ったミケーネ文明は紀元前1700年頃から徐々に発展を始めます。
そして、紀元前1500年頃にはミノア文明の本拠地であるクレタ島に侵攻し、これを征服するまでに繁栄しました。
各地に存在した宮殿は破壊され、500年近く隆盛を誇ったクノッソス宮殿も、ミケーネ人によってクレタ島は拠点地とされます。
しかし、その後紀元前1400年頃にはクノッソス宮殿も破壊されることとなります。
ミケーネ文明の台頭と滅亡

ミケーネも王であるアガメムノンのマスク:実際はアガメムノンが生きた300年も前のものと考えれている。/Wikipediaより引用
またミケーネ文明も彼らが征服したクレタ文明とおなじく衰退することになります。
紀元前1200年頃、ミケーネ文明の各都市が800年前と同じように謎の滅亡してしまいます。
滅亡の原因としては、小アジアの帝国ヒッタイトを滅ぼし、エジプトにも大きな打撃を与えた「海の民」によるものだという説
その他には気候変動や環境破壊によるものという説など諸説あるようですが……
どれも決定的なものは少なく、複合的な要素が重なって衰退したとも考えられます。