目次
古代エジプト人は、人は死んだ後も、魂は永遠に生き続けると信じられていました。
しかしそのため、死者は一度冥界の暗闇を旅をしなければなりませんでした。
この冥界への旅は危険も伴うことになりますが、幸福な来世を約束された試練でもあります。
そんな旅路のパスポートでもあり、ガイドブックでもあるものが「死者の書」です。
古代エジプト人は安寧な来世を過ごすため、生前から「死者の書」を用意していました。
また、墓の壁画や棺、さらにはミイラの包帯に葬祭に関する呪文が記されています。
その呪文には、どのような思いが込められていのか?どのような意味があったのか?
見てみたいと思います。
葬送文書の誕生の背景
古代エジプト文明で著名な遺跡や遺物は、死者のために作られたものが多くあります。
これは古代エジプト人が死んでも魂は永遠に生き続けると信じられていたことを示しています。
古代エジプト人が墓を築くにあたって、長持ちするように素材や工法を吟味したのは、すべてが永久不滅の魂のすみやかにするためでした。
また、墓の多くは人々の生活圏とは隔絶した砂漠地帯にあったことから、ミイラや墓室なども乾燥した気候条件に助けられて劣化が少ないです。
これが近代の考古学者たちの格好の研究対象となりました。
そのため、古代エジプト文明の遺跡や遺物といえば、死後の世界にまつわるものが大半を占めています。
砂の名中から目覚めた古代エジプトの墓の中には、古代人自身の書き遺した碑文や壁画ばかりでした。
研究者たちは、この摩訶不思議な世界観を解読しようとこころみます。
そして19世紀前半にシャンポリオンらによって古代エジプト文字が解読されたことで、供養碑や墓室内の碑文、副葬品のパピルス文書などの翻訳と研究が飛躍に進みます。
こうした死者に献じられた多種多様なテキスト群は、「葬祭文書」といいます。
これを手がかりに、それまで謎めくばかりだった古代エジプトの神話や神々の体系、宗教儀礼や葬祭文化の内容が明らかになりました。
古代エジプト文明の根幹をなす「死」と「再生」の魔術とも呼ぶべき、葬祭文書の世界を見てみよう。
「ピラミッド・テキスト」が死者の書の由来?
でエジプト最古の葬祭文書は、紀元前24世紀頃、古王国時代末期のピラミッドの内側に刻まれた「ピラミッド・テキスト」と言われています。
第5王朝のウナス王のピラミッドなど、以後100年ほどの間に建造された計9基のピラミッドのから、800章に及ぶさまざまな文言が確認されています。
「ピラミッド・テキスト」は葬祭神官がピラミッドの内部で執り行った葬送儀礼の説明書のようなものです。
大まかな内容として、被葬者を冥界神オシリスと一体化して、死者の魂が昇天するのを手助けするための祈祷文がつづられています。
ウナス王のピラミッドが造られた当時は、太陽神ラーを信奉するヘリオポリスの神官団が王家に対して強い影響力を持っていました。
そのため「ピラミッド・テキスト」の大半の文言はヘリオポリスの神学者の創作と考えられています。
ただし、一部にはもっと古い時代の伝承が組み込まれているようです。
また、ヘリオポリスの神殿には葬祭文書の原典のようなものが秘蔵されえていたと言われています。
その例として、「汝の顔より砂を払い落せ」と死者に呼びかける文言とされているようです。
先史時代のエジプトでは砂漠に掘った墓穴に死者の遺骸を構えたが、王朝創始後の墓では遺体は棺に納められ、死者の顔に砂がつくことはありません。
つまりこの文言は王朝誕生前の呪術の伝統は含まれていると言われています。
またこのほかにも、「食神歌」とも呼ばれる食人を思い起こさせられる一節があります。
これは王朝創始期まで存在した「遺体をバラバラにする埋葬様式」が形を変えて記されたものと言われています。
さらにこの遺体を分断する慣習は、セトに殺された遺体を切り刻まれたオシリスの体を、妻のイシスが集めてミイラを作ります。
そして、魔法で蘇らせるという「オシリス神話」と関連づけられることもあります・
埋葬習慣とオシリス神話、そのどちらかが先行したのかについては、エジプトの葬祭文化の起源を紐解く問題として注目されています。
死者の書の呪文の由来
「ピラミッド・テキスト」は、ピラミッドを建造できるほどの最高権力者だけの特権ともいうべき、死者を蘇生させる呪文集になります。
しかし、古王国時代の栄光が潰れると、こうした呪術が王の独占物ではなくなっていきます。
地方貴族や高位の役人といった富裕な人々が、自分の棺に「ピラミッド・コンプレックス」を真似した呪文や図像を記すようになりました。
これが中王国時代に普及した「コンフィ・テキスト」と呼ばれた葬祭文書になります。
「コンフィ・テキスト」は棺の蓋や内側という限られたスペースで表現されています。
そして、呪文はコンパクトなもので、死生観もファラオのような壮大なものではなく、
死後も生前と変わらない暮らしをする願いが込められています。
人々はファラオの真似をしながらも相応な墓や棺を作り、オシリスの墓があるというアビュスへの巡礼を楽しみしていたようです。
一般人でもしかるべき葬送の準備をしていれば、死後も永遠の極楽浄土で暮らそうとすることができると思われていました。
また生前の行いで死後の生活が左右されるという因果応報の考えも持っていました。
「ピラミッド・テキスト」の記述にも、生前の善行を告白して来世へ旅立てれるかの判定が行われる「オシリスの審判」の場面が非常に人気であったようです。
その後新王国時代になると、死後への準備を行う習慣は庶民にも広まります。
さらに、如何にいいアイディアを持てるかが富裕のステータスになっていったようです。
この時代には葬祭文書にも人々の個性や願望が色濃く反映され、素材のより手軽なパピルスになっていきます。
これが「死者の書」と言われるものです。
「死者の書」のパピルスは、絵解きや彩色も豊富で絵巻物状になった形式のものが多いのが特徴です。
しかし本当に大切で、場面ごとに記されている文字になります。
それには死者の台本のようなもので、死者が冥界の神々へ述べる挨拶文、オシリスの審判で申し上げる生前の善行の告白文…
さらには冥界の渡し船の船頭を呼ぶ呪文や心臓が余計なことをしゃべらないようにする呪文など、
ユニークな内容も記述されています。
ファラオたちは自らの岩窟墓の通路や埋葬室の壁に「ピラミッド・テキスト」以来の伝統に基づいた王の死と再生を祈願する壮大な葬祭文書を描かせました。
この葬祭文書には、古代エジプトの葬祭文化の絶頂期が感じられる壮大な宇宙観が表現されています。
死者の書などの葬祭文書は保険?
王朝末期のエジプトを訪れた歴史家ヘロドトスは「全人類の中でも極端に信仰に篤い」と古代エジプト人を評価しています。
また、古代エジプト人は「ヘカ」と呼ばれる神聖な呪術の力を信じ、日常生活で何かと活用していました。
ファラオは大神殿の魔術や予言能力を持つ神官を相談相手として、時に神託を仰いでいました。
そして神殿には一般人用の窓口もあり、日常業務として神官が占いや神託なので相談に応じていました。
他にはお守りやパワーストーンに通じるような呪術的なアイテムも出回っていました。
古代エジプトの壁画の人物の装飾品や手に携えている小道具には、いずれも何らかの呪術的な意味が込められていたと言われます。
庶民も石や焼き物製の護符を大事に身に着けており、同様に護符はミイラの包帯の下のも無数に巻き込まれていました。
古代エジプト人が葬祭文書に描かれたような「永遠の魂」や「来世の幸福」をどこまで信じていたかは、現代の我々には知ることはできませんが……
少なくとも、それが古代エジプト人にとって死の不安をやわらげる「保険」として考えたことでしょう。
さらにそれが、永遠なる魂を得るためにも人は正しく生きるべきだという倫理的な指標となったとも理解できます。
古代エジプト人の葬祭文書とは、古代エジプト人が安寧で満たされた現世を過ごすための生活の知恵でもあったとも言えるでしょう。
『参考文献』
石上玄一『エジプトの死者の書―宗教思想の根源を探る―』人文書院 1980年
酒井伝六/鈴木順子『死の考古学―古代エジプトの神と墓―』法政大学出版局 2009年
村治笙子/片岸直美『図説エジプトの「死者の書」』河出書房新社 2016年