エジプト 古王国時代

イムホテプは古代エジプトの万能人?宰相から神になった天才とは?

ファラオの名前以外はほとんど伝わることがない古代エジプトの歴史において、

王の名声をも凌ぐほどの名声を得た人物がいます。

その名は「イムホテプ」

映画「ハムナプトラ」で個性的な敵役で知られる人物ですが、古代エジプトで実在した宰相です。

彼の最大の功績は、世界最古のピラミッドである「階段ピラミッド」を造ったことでもありますが…

階段ピラミッド建設以外にも、祭祀・政治・文学などなど多岐に渡る分野で才能を発揮。

さらには神として信仰されるまでに至ります。

しかしなぜ、そこまで名声を得ることができたのでしょうか?

そこで今回あイムホテプの生き立ちから信仰される理由までの魅力の真相に迫っていきます。

イムホテプの名声はファラオを超える?

ジェセル王像/wikipediaより引用

古代エジプトおけるファラオとは絶対的な存在。

中でもピラミッドという今までになかった巨大建造物を造った古王国時代の王は神そのものと認識されていました。

当時のエジプト王国を統制するためには、政治・軍事・宗教儀礼などの専門家が側近として登用されていたでしょう。

しかし、そうした人々の名は後世に残らず、彼らが仕えたファラオの名のもとにその業績が伝えられるに過ぎませんでした。

ところが、そんな中で王族以外の出身でありながら例外的に語り継がれた人物がいます。

その名前が「イムホテプ」

紀元前27世紀頃から始まる第3王朝時代のジェセル王に仕えた宰相として、後世に知れ渡ります。

おそらく多くの方は、映画「ハムナプトラ」の敵役として聞いたことがあるかもしれません。

このイムホテプは実際に古代エジプトの歴史の中で登場する人物ですが、

映画のように魔術を使うような人物ではなく、内政を取り仕切り、王に助言を行う側近として活躍しています。

このことから、ファラオの権力が絶大で独裁的ではなく、古王国時代から宰相制度があったことが理解できます。

ジェセル王は、エジプト初のピラミッド建設を命じたファラオとして、知られています。

これは「階段ピラミッド」とも呼ばれ、エジプト最古のピラミッドとして世の中に知られています。

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そんな偉大な業績を持つジェセル王の等身大の彫刻には碑文が刻まれていますが、

その碑文には王とともにイムホテプの名が「王に次ぐ地位」にある人物として記されています。

臣下である人物がファラオの彫像に王に次ぐ地位」と書かれていることから、ジェセル王にとって非常に重要な人物であったことが分かります。

神官イムホテプの出世のひみつ

イムホテプ像/wikipediaより引用

さらにジェセル王像の碑文には、イムホテプの生き立ちについて書かれています。

イムホテプが貴族出身であり、ナイル川下流域の街であるヘリオポリスで、知恵の神であるトート神の神官を努めていました。

その地位は祭儀文朗読神官長という地位であったとされています。

なお、ジェセル王の治世である第3王朝はナイル川上流域の上エジプトと下流域の下エジプトが統一されていましたが、情勢としては不安定な時代。

どちらの勢力が国家の主導権を握るかで勢力争いが起こり、その裏では宗教勢力も勢力争いを繰り広げていました。

当時、大きなちからを持っていたのは、政治的な中心都市メンフィスで信奉された職人の神プタハやナイル河の氾濫と豊饒をつかさどる神クヌムなどが主に信仰させれていました。

そうした政治と宗教が密接にかかわっていた古代エジプトでは、王家がどの神を重視するかによって、政局が影響を受けるという時代です。

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そんな中で、ジェセルは兄である先代ファラオの後を継いで即位するとそれまでのナイル河上流域から下エジプトに近いメンフィスに拠点を移すことになります。

そしてその頃に宰相の地位にいたイムホテプに命じて、メンフィス付近のサッカラに、ファラオの威光を誇示するかのようなピラミッドを築かせることになりました。

これはメンフィスのプタハ神が重視されていたとみた方がいいでしょう。

イムホテプの出身地でありメンフィスと同じ下エジプトのヘリポリスの髪も国家に近いポジションに置かれたと考えられます。

このヘリオポリスの神こそが、後に国家神となる太陽神ラーです。

では、権力が下エジプトに集中してしまったかというと、そういわけではないようです

飢餓の碑:エレファンティネの神々に供物を捧げて、飢餓から救われたことが書かれている。/wikipediaより引用

そのことを裏付ける碑文には以下のようなことが記されています。

ジェセル王の治世中、ナイル川が7年間も氾濫を越さず、土地がやせて、飢饉が起こります。

この問題についてジェセル王は宰相のイムホテプに、ナイル河の源泉を探させます。

その結果、ナイル河のエジプト南部のエレファンティネという街から湧き出ることが判明しました。

イムホテプの報告を受けた王は、エレファンティネの神々に供物を捧げると、ナイル川の水が満ち溢れ、飢餓から救われたと記されてます。

このジェセル王とイムホテプの治水事業について書かれた碑文は、「飢餓の碑」と言われるもので、エジプト南部にあるセヘル島から発見されました。

ただし、「飢餓の碑」は第3王朝から2000年以上も後のプトレマイオス朝時代に作られたものです。

そのため、碑文に登場するジェセル王の時代の飢餓が実際に起きたかは、本当かどうかわかりません。

しかし、ここで注目すべきは、この碑文はクヌム神官によって刻まれたということ。

つまり、プトレマイオス朝時代に至るまで長きにわたり、第3王朝のジェセル王はクヌム神を保護してきた善き王と考えられてきたようです。

また、クヌム神は上エジプトの神であるので、ジェセル王じゃ上下エジプトどちらの神も大事しようという心意気も見えます。

ただ、こうした政策は王の独断ではなく、イムホテプの助言によるところが大きかったと思われます。

というのもエレファンティネの「飢餓の碑」にしてもわざわざジェセル王の右腕であるイムホテプを登場させるという意味でしょう。

この政策決定に彼が大きく関与していた可能性が高いことを示しているのではないでしょうか。

イムホテプは、政治・宗教どちらにおいても上下エジプトのバランスを保ちながら彼が使えていたファラオの地位を確固たるものにしていった名宰相であることが言えるでしょう。

万能人イムホテプ、階段ピラミッド建設への道

ジェセル王の階段ピラミッド:イムホテプによって設計され完成した。/wikipediaより引

優秀な宰相イムホテプの活躍は政治だけにとどまらず、むしろそれ以外の分野での方が高いでしょう。

中でも、最大の功績は、サッカラに建設された階段式ピラミッドの設計でしょう。

この建築物の持つ意味は、エジプト初のピラミッドというだけではありません。

使用される建材が、それまで使われていた日干しレンガよりも耐久性の石材に切り替わったなど、古代エジプト建築の転換点と言われる遺跡と評価できます。

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紀元前3世紀のエジプト人歴史家マネトによれば、この切石による建設技術を確立したのはイムホテプと記しています。

エジプトのピラミッドは四角錘状になっていますが、ジェセル王の階段式ピラミッドはその原型ともいえるでしょう。

ただ、才気あふれるイムホテプもこれには苦心したようです。

ジェセル王の王命を受けた当初は、地下施設の上に石材を四角形の形に1段だけ積み上げたもの

これは従来のファラオが築き上げてきたマスタバ墓と大差なく、高さ8メートルもなかったものでした。

ジェセル王としては、おそらく今までにない建築物で自分の威光を示す目的があったのでしょう。

というのもその後、サッカラの建築物は階段状に積み上げられ、最終的には高さ約60メートルの巨大建築物となります。

巨大なピラミッドを築造するため、イムホテプは試行錯誤を繰り返したことでしょう。

イムホテプ像と医療文書:政治や文学だけでなく、医療の神としても崇拝される。/Instagramより引用

建築界でも名を遺した彼は、さらに文学作品まで手掛けることになります。

しかし、この作品は現存していませんが、中王国時代の文学作品にはイムホテプの言葉を引用したものが多くあります。

政治家・建築家・文学家など多彩な才能を発揮したイムホテプ。

生前はおそらく、臣下としては右に出るものはいなかったことでしょう。

そして数奇なことに、彼がこの世を去って以後、さらにその権威は高まっていくことになります。

現在に残るイムホテプの彫像は、ギリシャの支配を受けた時代につくられたものになります。

大体は彼が椅子に座り、膝の上にパピルスの巻物を広げた姿で表現されているもので、如何にも知的な姿と言えるものです

この時代になるとイムホテプは、比肩するものなき知識人ということ以上に、神として崇められることになります。

王家以外で神として信仰された理由は、英雄を神格化するギリシャ文化の影響を受けていると考えられています。

神とされたイムホテプは、生前の建築界における技術革新などが評価され、職人たちの間では「プタハ神の息子」として崇められるようになります。

また、経緯は詳しくは分かりませんが、「医療の神」とも認知されています。

これらは当時の支配者であるギリシャ人が、地中海世界の医療の神として信奉されていたアスクレピオスをイムホテプと同一視されたと言われています。

また、イムホテプ本人がどこに埋葬されたかは特定されてはいませんが、神としての彼を祀る神殿はエジプト各地に残されているようです。

彼が生きた古王国時代以降、徐々に神としての性格が加えられていくと、病気の平癒を願う人々が知恵の神の使いとされるトキのミイラを奉納したと考えられているようです。

歴史上の人物が神格化さることは少なくないですが、長いエジプトの歴史においても同じようなことが起きてもおかしくないでしょう。

中王国時代以降のエジプトの人々にとって、イムホテプははるか遠い古王国時代に生きた崇敬すべき先人だったのでしょう。

『参考文献』
イアン・ショー/ポール・ニコルソン『大英博物館古代エジプト百科事典』原書房 1997年

ピーター・クレイトン『古代エジプトファラオ歴代誌』 創元社 1999年

ミロスラフ・ヴェルナー『ピラミッド大全』法政大学出版局 2003

吉村作治『古代エジプトを知る事典』東京堂出版 2005年
吉村作治『痛快! ピラミッド学』集英社インターナショナル、2001
大城道則『ピラミッドへの道―古代エジプト文明の黎明―』講談社2001年
大城道則『図説 ピラミッドの歴史』河出書房新社 2014年
吉村作治『痛快! ピラミッド学』集英社インターナショナル、2001年

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古代文明大研究

歴史系ブロガーです。 小学生の頃からの古代文明が好きです。 古今東西の古代の歴史について調べています。 解き明かされていない謎について迫って行くことに面白みを感じています。(中々人に理解されないですよね~泣) 分かりやすく世界の古代史について情報発信をしていきます。 よろしくお願いします

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