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初代ファラオはナルメル?メネス?エジプト王朝の創設者は誰?
紀元前3000年頃、はじめてエジプトは統一され、ここでエジプト王朝の歴史が始まったとされます。
その統一を成した王は、プトレマイオス朝にエジプト史を編纂したマネトは「メネス」と記していました。
しかし、19世紀末に王朝の創始期の石板が出土。そこには「ナルメル」と記載された未確認の王の名前が…
しかも、かなり具体的な活動がレリーフとして刻まれているのです。
エジプト史に記された「メネス」が初代ファラオなのか?それとも石板に刻まれた「ナルメル」なのか?
はたまたメネスとナルメルは同一人物なのか?
錯綜する仮説を追って行きながら、エジプトの始祖王、メネスとナルメルの実像に迫っていきます。
初代ファラオはメネス?とナルメル?
メネスとナルメルは同一人物とは言えない。
多くの世界史の教科書では、古代エジプト王朝は紀元前3100年頃。
上エジプトの王が下エジプトを征服して、エジプトが統一され、その初代王は「メネス」と「ナルメル」とされています。
しかし、この2名が同一人物であるとはされていません。
「メネス」をエジプトの第1王朝、1代目の王として記録したのは、紀元前3世紀に『エジプト史』を編纂したエジプト人神官の「マネト」という人物です。
同時代ではないといは言え、古代エジプト人自身が編纂したこの記録は、古代エジプトを研究する上において欠かせない史料でした。
ヒエログリフ解読なくしては知られなかた
19世紀にヒエログリフの解読にされるまで、古代ギリシャやラテン語の文献などでしか古代エジプトに関する文字資料はありませんでした。
しかし、1822年にシャンポリオンのヒエログリフ解読が成功します。
この功績によって、パピルスや遺跡など壁画から土器片などなど、王朝成立以前から存在していた文字資料の研究が大きく進歩することになります。
ヒエログリフの解読の成功から「メネス」の名は文献学から古代エジプトにおける初代ファラオとして名が明らかにされました。
やはり、シャンポリオンがヒエログリフを解読しなければ、初代ファラオが誰だかも議論されることがなかったかと思うと、彼の業績は本当に偉大ですよね。
ナルメルの登場で謎が深まる
一方「ナルメル」という名は、19世紀末に発掘されたエジプトの遺跡で発掘調査によって知られたファラオ。
しかも、科学技術の向上もあって、砂漠の下に埋没していた王朝成立期の遺跡の考古学的な研究をすることが可能です。
歴史を検証するには、文献学と考古学という2つの方法がありますが…
互いに情報を補いながらも並行しますが、古代エジプトにおいてもそれは例外ではありません。
伝説の始祖王メネスと上下エジプトを統一した王として実際が確認されるナルメル。
この2人の王のは、文献学と考古学それぞれの研究において、どちらもれっきとした初代エジプトでなのです。
伝説王の初代ファラオ「メネス」とは
古代エジプト人にとっての初代ファラオ
残念ながら古代エジプト人は中国のように歴史書を作るということはあまりしませんでした。
しかし、王たちは自らの偉業を碑文や壁画、パピルス文書で残しています。
その中では古代エジプトの初代ファラオをメネスと記しているものは圧倒的に多い。
おそらく、古代エジプト人自身はメネスを初代ファラオとして認識していたのでしょう。
パレルモストーンに見えるメネス誕生秘話
古代エジプトの第5王朝までの年代期が記されている王統譜「パレルモストーン」には、伝説の初代ファラオであるメネスについての経緯が書かれています。
ここには鷹の神ホルス神が人間の王メネスに王権を授けたとされています。
さらに現在イタリアで保管されているパピルス文書「トリノ王名表」には、精霊や神々の時代につづく、メネス王からラムセス2世までの300人に及ぶ王の名との事績が記されています。。
マネトもこうした文献を歴史再編の資料としたのでしょう。
マネトによると、メネス王は半獣半人の王の時代の後にあらわれた「最初の人間の王」でありました。
そしてもとは上エジプトのティニスの王でしたが、下エジプトに侵攻して全土を制覇。
第1王朝初代の王として国を治め、カバに連れ去られるまでの62年間在位したと言われます。
当時ナイル河畔にカバが多数生息しており、エジプトでは大変凶暴な破壊の神とみなされていたことから、一見脈絡が見えなくなくなるこの伝承も古代エジプト人にとっては不自然ではなかったのでしょう。
始祖王メネスの業績とは
メネスの業績については古代ギリシャの歴史家ヘロドトスがメンフィスのプタハ神殿の神官から聞いた始祖王「ミン」の伝承を叙述しています。
これによると、ミンは沼地だったメンフィスの南側でナイル川をせき止めて流れを迂回さいせ、開拓した土地に白い壁の城砦やプタハ神殿を造営したとされています。
メネス王につづく第1・第2王朝の王たちは、メンフィスの砦を政治拠点としまたが、これはデルタ地方や南パレスチナ、リビアへの権勢誇示の意味をあったと思われます。
彼らは故郷の上エジプトのアビドスに埋葬されていますが、下エジプトんのメンフィスに隣接するサッカラにも大規模な王墓が造られています。
おそらく、こちらも政治的意図を誇示するものだったのでしょう。
「ナルメル王のパレット」の出現
「白冠」と「赤冠」をかぶる男の偉業を称える石板
マネトがメネス王の出身地としたティニスは、初期王朝の王墓建設地アビドスの近郊にあります。
その上流には、有史以前から土器文化が発達して上エジプトの文化様式が育まれたナカダ遺跡あります。
さらに80キロメートルほどの南にナイル川を遡ると、ホルス神の聖地として王朝の黎明期に栄えた街ヒエラコンポリスがあります。
1898年、イギリスのエジプト学者がこのヒエラコンポリスを発掘調査し、初期王朝時代の儀式用の品々と思われる一群の遺物を発見しました。
その中に、奉納品とみられる儀礼用の化粧墨を納める泥岩製の石板が含まれていました。
片面には、上エジプトの王であることあらわす通称「白冠」をかぶる人物が異民族の髪をつかんで打ち添え据える様子。
もう片面には、下エジプトの「赤冠」をかぶる人物が従者とともに斬首された遺体の検分に向かう様子が描かれいます。
さらに両面上部の王名を記す枠の中に、ナマズ(ナル)とノミ(メル)と読めるヒエログリフが存在。
「ナルメル王のパレッド」と名付けてられたこの石板が、後に物議をかもすことになります。
ナルメルこそ初代ファラオ?
当時が、統一王朝の成立時期は暗黒時代とされまったく明らかになっていなかったというのが実情です、
研究者たちは、発掘地ヒエラコンポリスがエジプト王朝の発祥の地と推察。
ここから出土したパレッドのナルメルの文字に南部の王が北部の民族を征服したかに見える図像の物語性から、ある答えを導き出されました。
この古い石板は下エジプトを征服した上エジプト王の戦勝を語る記念品であり、ナルメルこそはエジプト王朝の初代の王であることを結論づけました。
この説を補強するものとして、同じ遺構から王が儀式に用いる棍棒の頭の一部が見つかっています。
そこには白冠をかぶって玉座につくナルメルが、天蓋付きの輿にのる人物に対面する光景が刻まれています。
これは王が征服地の女性を花嫁に迎える場面で、女性は北部エジプトの女神「ネイト」を名前に含むネイトへテプ王妃だと言われています。
さらにナルメルの墓まで発見
その後も、アビドスではナルメルの墓が発見されます。
そこには供物につける象牙札に、パレットと酷似した図像と「リビアの沼地の人々を打つナルメル」という文字が刻まれています。
また近年では、デルタ地方やパレスチナでもナルメルの名入りの遺物が見つかっているようです。
これらの一見して明快な物証から、南部出身のナルメルが、北部エジプトを制した王朝創始時代の王であることは確実視されるようになりました。
2人の王が重なる日
メネスを語ることは難しい?
マネトが『エジプト史』に記し、エジプト人が始祖王と崇敬したメネス王と考古遺物に登場するナルメル。
過去の側と現代の側の双方で同じ人物をみているかのようですが、現在ではこの2人をぴったり重ね合わせることが難しいと言えるでしょう。
その理由しては、メネス王の実像を物語る情報が、古代の王名表とギリシャ時代の文献のほかなく、今後の考古学的手法で解明される可能性はないことが挙げられます。
ナルメルおける研究者の見解
一方で、ナルメルについても研究者の見解は一つではないでしょう。
例えば、ナルメルとネイトへテプの子で、第1王朝2代目の王とされるアハ王の墓の出土品に、アハの別名としてメンという文字が刻まれていました。
以上のことから、マネトはが記したメネスはアハ王とする説もあります。
またメンには"確立する"という意味があり、統一王朝を盤石にした初期王たちの総称だとする説も有力とされています。
さらに、ナルメルのパレットの解釈も実証に欠けるでしょう。
というのも出土時の十分な調査記録がなく、エジプト王朝の創始を説明するために都合よく利用されたという側面があります。
今後もさらなる検証がされていく。
上エジプトの王が下エジプトの小国を武力で短期間に制圧したという王朝創始の定説も近年では変化してきているようです。
メネス王が砦を築くほどに警戒し、ナルメルが棍棒を振りかざす"敵"とは、同胞の下エジプト人ではなく、南パレスチナやリビア、あるいは南部のヌビアとする説が議論されているようです。
エジプト王朝創始の時代がさらに解明され、2人の始祖王の実像がいつか重なりあう日まで、これからも検証はつづけられていくでしょう。
『参考文献』
エイダン ドドソン, ディアン ヒルトン他『全系図付 エジプト歴代王朝史』東洋書林 2012
ピーター・クレイトン『古代エジプトファラオ歴代誌』 創元社 1999年
高宮いづみ『古代エジプト文明社会の形成』京都大学学術出版 2006年
近藤二郎『エジプトの考古学』同成社 2012年
松本弥『古代エジプトのファラオ』弥呂久 2016年