エジプト 古王国時代

古代エジプト発祥の地?ナカダ遺跡とナカダ文化とは?王朝誕生の瞬間に迫る

古代エジプト王朝は紀元前3100頃に誕生したと言われています。

それ以前のエジプトの文化が一体どのような形で存在していたのかも100年前までわかりませんでした。

しかし、19世紀にとある遺跡の発見によって飛躍的にエジプト王朝誕生の実態が把握できるようになります。

その遺跡の名が「ナカダ遺跡」

エジプト好きの方でもこの遺跡の名前は聞きなれないかもしれません。

しかし、ナカダ遺跡から出土したエジプトの暮らしぶりから「ナカダ文化」と称され、エジプト研究では避けて通れないほどの重要な遺跡とされています。

また、ナカダ遺跡にはエジプト王朝誕生以前のエジプト人の暮らしや王朝成立の内容を解き明かす多くの遺物や痕跡が眠っているのです。

王朝誕生以前のエジプトとは?

悠久の歴史を持つエジプト王朝の成立の瞬間とは?

ナカダ遺跡やナカダ文化から初期エジプト王朝の実態に迫っていきます。

王朝誕生前のエジプトとナカダ文化

ナカダ文化晩期のパレッド:勝利を象徴する雄牛が描かれている/wikipediaより引用

20世紀初頭、西欧のエジプト学者の多くは、古代エジプト文明をアフリカの黒人が居住していたが、メソポタミアなどの西アジアの異民族によって、先進的な文化が渡来して発祥したと考えていました。

しかし、1世紀後の考古学的な調査によって、メソポタミアや西アジア人の渡来という説が覆されます。

現在、エジプト文明誕生についての経緯は以下のように説明されているようです。

  •  紀元前5000年頃、ナイル川に農耕や牧畜を行う集落が点在
  •  点在した集落がやがて大きな文化圏を形成
  •  各文化圏に固有の土器や磨製石器を製造
  •  装身具や埋葬習慣に共通性が見られる
  •  ナイル川を活用して交易が活発化

決して異民族の渡来というだけでなく、自発的に文化を持つようになったと見られています。

さらに、エジプトの文化の系統は地中海側のナイル川下流域の「下エジプト」と南側のナイル河中・上流部の「上エジプト」と大きく分けれるほどの特徴があります。

紀元前4000年頃に上エジプトのナカダ文化が急速な発展し、以後1000年ほどナイル川流域の他の文化圏を圧倒していくことになります。

そして、このナカダ文化から誕生して強大な王家が下エジプトを制圧、上下エジプトを統一したエジプト王朝が幕を開けることになります。

つまり、ナカダ文化からエジプト王朝は誕生したと言えるのです。

では、古代エジプト文明の発祥であるナカダ文化とは、どのように形造られてきたのでしょうか。

ナカダ遺跡の発見

ナカダ遺跡の墓を再現した展示物:発見された当初、包帯などの加工ない遺体は驚きが多かった/大英博物館にて撮影

ナカダ遺跡は現在ルクソールからナイル河を26Kmほど下がったところに位置する小さな街。

イギリス人考古学者であるフリンダース・ピートリーが「ナカダでは大量の土器や人骨が出土している」という噂を検証するべく、大小2000基ほどの墓を調査します。

その時ナカダ遺跡から出土した遺構や遺物は、それまでのエジプト王朝とは全く違った様相で、さらにピートリーを驚愕させたのは、遺体が"ミイラじゃない”まま埋葬されていることでした。

ファラオたちが埋葬される王家の谷などは、包帯などで加工されたミイラにするのがポピュラーです。

しかし、ナカダ遺跡で出土した遺体は両足を折り曲げたまま埋葬される屈葬の状態であり、乾燥によって髪の毛や皮膚が残っており、自然に「ミイラ化」していったものが発見されています。

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墓の多くは1mほどの深さに長方形の墓穴を作り、木で覆った単調ななつくりになっており、副葬品は化粧板に石器のナイフに象牙の小像・櫛・ビーズの腕輪などが供えられていました。

しかし、ピートリーはナカダ遺跡の状態を詳細に記録しましたが、どの時代のものなのかは特定しなかったようです。

ナカダ遺跡の調査の2年後、時のエジプト考古学長であるフランス考古学者のジャック・ド・モルガンはナカダ遺跡の再調査をすることになります。

モルガンの発掘隊は大きな周壁を持つ墓の発見に成功。

そこには初期王国時代のファラオと思われる「ホル・アハ」やその王妃「ネイトホテプ」の名が書かれた粘土印象や象牙で作られた碑文が出土しました。

同時期にヒエラコンポリスの遺跡でナカダ遺跡の出土品と似ており、エジプトを統一した王の姿が記しされた「ナルメル王のパレッド」が発見されました。

さらにアビドスの遺跡では初期王国時代に関する遺物も出土。

ヒエラコンポリスやアビドスなどで、上エジプト地域で共通する文字が記された遺物が発見されたことで、それまで伝説と考えられていた王朝の研究が進展し始めたのです。

ナカダやヒエラコンポリスなどの発見により、モルガンは「ナカダ遺跡での発見は、エジプトの先史時代と王朝初期とを結ぶ"初期王国時代"の謎が解ける場所になるだろう」という論考を発表。

ナカダ遺跡が古代エジプト研究で注目を集めることになります。

ナカダ遺跡から分かるエジプト王朝の源流

ナルメル王のパレットの復元図:王が棍棒で敵を打ち据える姿はナカダ文化が発祥/Wikipediaより引用

ナカダ遺跡は南北約3㎞もの広さを有していますが、実際は直接王朝に結びつく遺構は少ないのが実情でした。

むしろ、ナカダ文化を傘下に収め上エジプトの大勢力であるヒエラコンポリスや、初期王国時代の王墓が多くあるアビドスの方が王朝誕生に関する資料が多いです。

ただし、ナカダ遺跡にはエジプト王朝文化の"礎"というべき証拠が多い…

例えば、紀元前3600年頃に建設されたとされるヌブトという集落の遺構が発見されています。

ヌブトとは古代エジプト語で「金の街」という意味で、ナイル川を挟んだヌブトにはエジプト王家の収入元であった金鉱が砂漠東部に存在しています。

つまり、ヌブトはナカダ文化から王朝誕生にかけて金の収集する場所として栄えたと考えられます。

ナカダ文化の王家はヌブト近郊の金脈の黄金により繁栄し、その資金力で下エジプトを制圧するほどの支配力で持つようになったと推測されます。

また、フランス人考古学者であるジャック・ド・モルガンが発見したナカダ遺跡の大型墳墓は独特の特徴を持つ壁画が存在。

これは初期王国時代の王権を示すシンボルである「セレク」と称されるデザインの元になるもので、王宮などの権力者が住むものを示しているものと考えられています。

ナカダ遺跡で出土した数多の遺物も王朝と関連する文化的要素を持っています。

例えば、ナルメル王のパレットのも書かれているような「王が棍棒で敵を打ち据える図」や王を「付け髭を「つけた姿」で表現する様式もナカダ文化にルーツがあるとされています。

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他には魚の尾形の刃を持つ短剣は、王のミイラを埋葬するための儀式である「口開きの儀式」で使われるナイフの原型となるもの。

ツタンカーメン王墓に描かれた「口開きの儀式の図」:右側の人物が持つナイフはナカダ文化が源流となっている/Wikipediaから引用

さらにはエジプトの地方行政単位であるノモス(州)のアイコンが描かれた彩文土器も発見されています。

ナカダ文化が古代エジプト王朝文化の特徴が全て由来すると評価するのは難しいでしょう。

しかし、上エジプトの勢力の一つであったナカダ文化から初期王国時代の文化の源流であることは確かでしょう。

また、ナカダ文化の発祥の地は地中海や西アジアから離れた地域である上エジプトであることから、古代エジプト王朝の発祥が異民族の渡来ではないということを物語っています。

ナカダ文化の土器が糸口に

幾何学模様や動物が描かれたナカダ文化の彩文土器:Wikipediaより引用

ナカダ遺跡の考古学的な重要性はさらにあります。

ナカダ遺跡には、ナカダ文化の初期から王朝創始期にかけて、全時代を通じて土器が作成されていきました。

ピートリーはナカダ遺跡出土の土器片を地層ごとに正確に記録しており、ピートリーは先史時代全体の時間的な推移を理解するための基準となるとは考えます。

この基準は装飾様式や土器の形状、焼成法を分析してエジプト王朝が始まる以前の年代編年を割り出す指標になります。

そして、20世紀に途中して、王家の谷でのお宝さがしのような発掘が終わりを告げ始めると、先史時代の研究が始まることになります。

このときにピートリーの年代編年がかなり役立つことになります。

下エジプトのデルタ地方や南のヌビアの遺跡からナカダ期の土器が出土するようになります。

これによってナカダ文化がいつ頃エジプトどんなの地域に広まり、土器を基準としてエジプト史を理解することが可能になりました。

ピートリーの研究の結果から、1000年ほどの歴史を持つナカダ遺跡の中で、上エジプトで大きな都市が出現し始めたのは約500年間で、ここで権力構造を持つ階級社会のあり方が発展していったと考えられるようになります。

ナカダ期には工芸美術も発達し、彩文装飾土器に金や宝石を加工したビーズのアクセサリー類などが多く製作されています。

これがナイル川の交易を通じて他のエジプト地域に広まり、つづく約300年間でナカダ文化はデルタやヌビアへ拡散してきます。

さらにナカダ文化の影響力は南はヌビアの最奥地から北はパレスチナまで広がっていきます。

このナカダ文化の急速な勢力拡大から、殺戮や侵略ではない緩やかな文化的統合とも見て取れるでしょう。

紀元前3100年頃、ナカダ文化圏の中で最も強い都市の王がエジプトを統一していき、下エジプトのメンフィスで王朝が誕生していきます。

古代エジプト王朝はナカダ文化の強力な影響を経て、3000年も続く歴史が始まっていくのです。

『参考文献』
エイダン ドドソン, ディアン ヒルトン他『全系図付 エジプト歴代王朝史』東洋書林 2012
ピーター・クレイトン『古代エジプトファラオ歴代誌』 創元社 1999年
高宮いづみ『古代エジプト文明社会の形成』京都大学学術出版 2006年
近藤二郎『エジプトの考古学』同成社  2012年
松本弥『古代エジプトのファラオ』弥呂久 2016年

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