エジプト 古王国時代

ファラオは妹と結婚するのは当たり前?古代エジプトのダブーな結婚事情

現代において、近親結婚は絶対的なタブ―と社会でみなされていますが……

なんと古代エジプトでは、神話の中で神々が近親結婚が国土や建国の英雄を生み出す原動力になるという

神聖な結婚とみられていました。

神話が身近な古代エジプトの文化では、近親婚について禁忌の考えが現代よりも薄かったと言えるでしょう。

しかし、なぜ近親結婚がそんなに"タブ―"ではなかったのか…

なぜ、近親結婚が神聖なものと理解されていたのか…

その真相に迫っていきます。

神話から見える古代エジプトの近親結婚

「死者の書」に書かれたオシリスとイシス・ネフティス姉妹/Wikipediaより引用

古代エジプトは紀元前3000年頃に王朝が開かれ、第1王朝から紀元前31年のプトレマイオス朝が滅亡するまでの歴史があります。

しかし、日本の天皇家のような"万世一系"ではなく、異なる王家が興亡を繰り広げてきた歴史的な背景があります。

ナイル川の恩恵を受けて発展した古代エジプト文明ですが…

巨大なピラミッドや神殿を建設し、最先端の科学技術や文化を開花させた王国の頂点にいるのが現世の神であるファラオです。

また、古代エジプトでは太陽神を頂点として森羅万象の神を信仰を取る多神教を宗教としています。

天空の神ヌト(上)と風の神シュー(中央)と大地の神ゲフの図:創世神話の神々は近親結婚で結ばれる形になっている/Wikipediaより引用

古代エジプトの創世神話も現在カイロの近くにある古代の宗教都市「ヘリオポリス」で成立したとされています。

この創世神話を追うと、創世神アトゥ―ムの自慰行為から風の神シューと雨の神テフヌトが生まれます。

さらにシューとテフヌトは兄妹で結婚し、地の神ゲフと天空の神ヌトが産まれ、ゲフ・ヌト兄妹も結婚します。

兄妹であり夫婦でもあるゲフとヌトは男神オシリスとセト、女神イシスとネフティスを産みます。

オシリスは妹イシス、セトはイシスの妹であるネフティスと結婚します。

このように古代エジプトの創世神話の中では、神々の系譜が近親結婚が連続して続いているのです。

近親婚が神話にも表れていますが、これは王統の血統を保ち神性を高めるために、血縁者と結婚することが目的とされています。

ファラオの結婚

トトメス3世像:父の正妃ハトシェプスト女王の娘と婚姻しファラオとなった。/Wikipediaより引用

古代エジプトでは初期王国時代から、ファラオに即位して統治するのは主に男性です。

しかし、王位継承権は女性にあり、とくに王位継承者は嫡出の長女になります。

この王女と結婚した人物がファラオになることができます。

このことからエジプトの王族と上流階級は、おそらく初期王国以前から近親結婚によってファラオの血統を保持してきたと考えられます。

ファラオの系図を検証してみても、母親の異なる兄弟姉妹、父と娘、祖父と孫娘、おばと甥といったパターンの近親結婚は少なくないようで、

母系を重んじるため同母の血族結婚は禁じられました。

ただし、父親と実娘の結婚はとくに問題視されているようではなく、しかも、性的関係を持ち子供までもうけます。

さらには複数の近親結婚したファラオも存在しています。

紀元前16世紀ごろ、第18王朝のエジプトはそれまで異民族ヒクソスの支配を倒してエジプトを再統一しました。

そして、王権より確固たるものにするべく、歴史上最も多く近親婚を行っています。

現代において、近親者と子供をもうけることは遺伝上の問題があるとの指摘がありますが、

古代エジプトのファラオたちの歴史の中では、近親結婚による問題は発見されていないようです。

古代エジプト王朝の全盛期となっていた第18王朝は、偉大なファラオを次々と輩出した時代になります。

トトメス1世というファラオは元々軍人であり、王位継承者であるイハフメス王女と結婚することでファラオになりました。

また「エジプトのナポレオン」として名高いトトメス3世は、先王と身分の低い王妃との間に生まれたファラオになります。

トトメス3世はファラオになるために、正妃のハトシェプスト女王の娘で先王の嫡出であるネフェルラーと結婚しています。

トトメス3世とネフェルラーは異母兄弟であり、トトメス3世もその例外の漏れることなく近親結婚でした。

さらに、第18王朝の最後のファラオとなったホルエムヘブや、第19王朝を創立させるラムセス1世も王家とは血縁がない軍人です。

実際は、血族関係にない者もファラオになっていますが、男系の場合は先王の娘を娶ることで、ファラオになることができます。

王家の近親結婚とその歴史

ハトシェプスト女王の像:王位継承権を持つことから幼王トトメス3世に代わって政権を担う/Wikipediaより引用

近親結婚が古代エジプトで盛んに行われた背景には、母系社会であること

そして、他の古代国家と比べて、女性の地位が高かったようです。

王妃たちの墓廟の壮麗さは、彼女たちが生前いかに高貴な身分であったかを物語るでしょう。

第1王妃と王母はファラオの神聖さを共有し、宗教儀礼においては独自の役割を担っていました。

高位の王妃や王女は自分の地所や宮殿を所有し、専属の女官を従えます。

ファラオは複数の妃を持ち、母の異なる子供たちを大勢もうけたので、異母兄弟姉妹婚を成立させるのが難しくなっていきます。

王宮では、廓で囲まれたハーレムがあり、ファラオの妃たちや側室、大勢の子供たちが住んでいました。

戦闘をするラムセス2世:王妃を数十人持ち、子供を100人以上持った/Wikipediaより引用

第19王朝のファラオであるラムセス2世は驚異の精力の持ち主でした。

というのも異母妹と実娘も含む8人の正妃のほかに数十人の妻を持ち、79人の息子と59人の娘をもうけたと言われます。

当時のハーレムには選りすぐりの女性たちが揃えられ、裸同然の魅惑的な姿で王は誘惑されたことでしょう。

しかし、女性ばかりのハーレムでは王位を巡る陰謀も渦巻いていました。

第20王朝のラムセス3世の時代には、王の暗殺計画が発覚しハーレムの女性と男性官吏が処刑された事件が起こっています。

先王の財産の相続者はその長女であるため、その長女と結婚しなければ誰もファラオになることはできないことを意味します。

またファラオが即位後に王家と関係のない側室を迎えたとしても、王位継承権は第1王妃の王妃を優先させます。

第1王妃たちはファラオと同様、神のごとく崇拝される身でありながら、国政の表に立つことなく、王妃としての務めを果たしていました。

ハトシェプスト女王の葬祭殿:彼女の壁画が存在を消すためいくつか剝ぎ取られている/Wikipediaより引用

ただ、トトメス2世の王妃であるハトシェプストは歴外な存在といえるでしょう。

先王とその異母妹との長女でありながら王位継承者であった彼女は、異母兄であるトトメス2世の第1王妃となります。

トトメス2世は生前に側室との息子トトメス3世にハトシェプストの娘との縁組を決めて次の王座を用意します。

しかし、ハトシェプストは幼王であるトトメス3世を幽閉して実質的な執政は全てハトシェプスト女王が行うことになります。

ハトシェプスト女王の治世は22年間にも及びます。

彼女は貿易や神殿の建築などで業績を残しますが、ハトシェプスト女王の死後に彼女の功績は抹殺されることになります。

これは女性が表立って国政に参加したことは、新王国時代の歴史からは消すべきタブーと理解されていたようです。

一方、近親結婚の方はタブーとされることは全くありませんでした。

王位継承権を持つ王女は本人の意向や年齢の差に関わらずファラオとなる男と結婚することになります。

第18王朝の王女アンケセナーメンは一神教を敷いたことで有名な父アクエンアテンと結婚して子供を産みます。

さらに父の死後は9歳の異母弟ツタンカーメンの王妃となって2子を産み、彼の死後は祖父にあたるアイというファラオと結婚しています。

このように王家では近親結婚は制度的に行われていたということが理解できます。

古代エジプト人の結婚生活

ツタンカーメンの玉座に描かれたツタンカーメンとアンケセナーメン夫妻/Wikipediaより引用

古代エジプトにおいて、結婚とは神の秩序の一部となる理想的な状態でした。

結婚に関する規制は少なく、外国人との結婚、身分が異なる結婚、一夫多妻婚、そして近親結婚も禁止の対象ではありません。

しかし、実際はおなじ社会階層の者同士の結婚がほとんどであり、複数の妻を一度に娶る余裕がある者は稀でした。

近親結婚が庶民の間でも一般的でしたが、王家や上流貴族の場合と異なり、おじと姪、いとこ同士の結婚が多かったようです。

ナイル川流域の都市や集落という、一種閉鎖的なコミュニティ―においては親族間の結びつきが強く

創世神話の影響から近親結婚をタブー視する考えが少なかったようです。

しかし、庶民の間では近親結婚は非常に少数でした。

また古代エジプト人は家庭を大切にしました。

子供が多ければ多いほど良いとされ、生まれた子供は愛情を注がれて大切に育てられます。

姦通は家庭を壊すものとして厳しい処罰の対象となりましたが、近親結婚は健全な家庭を営むのであれば何も問題視されることはなかったようです。

エジプトの血統の終焉

グイド・カニャッチによって描かれた「クレオパトラの死」:彼女は弟プトレマイオス13世と婚姻し、共同統治を行っていた/Wikipediaより引用

近親結婚によりファラオの神性を維持し繁栄を極めたエジプト王朝でしたが、紀元前1000年頃になると衰退の影があらわれます。

新王国時代を過ぎると、海の民やアッシリア、ペルシア、マケドニアなどの外部勢力の脅威にさらされていました。

ペルシアに征服されて以降はエジプト人のファラオは永久に姿を消すことになります。

プトレマイオス朝になると、エジプト人ファラオの習慣に従うという名目で、エジプトでさえ一般的でなかった同母の兄弟姉妹の結婚が行われるようになります。

やがて前ファラオの退位後、まずは王女が女王となって王位を継ぎ、彼女と結婚した「兄弟」が共同統治後に王位を譲り受ける形になります。

プトレマイオス朝では、生粋のギリシャ人による血族結婚によって、かつてエジプト人の王朝よりも濃い血統が王朝が作られます。

例えば古代エジプト最後の女王であり、絶世の美女としても名高いクレオパトラ7世がいますが…

カエサルと出会う前は、弟のプトレマイオス13世と結婚し共同統治をしていました。

クレオパトラもエジプトの慣習に漏れることなく、当初は近親結婚という形をとっていました。

彼女の死をもって古代エジプト王朝の幕は閉じますが、こうした近親結婚の習慣は滅亡寸前まで古代エジプトは行われていたのです。

古代エジプトの近親結婚は神聖なる結婚

明治時代の画家・小林永濯作の『天瓊を以て滄海を探るの図』:イザナギ(右)イザナミ(左)は兄妹でもあり、近親結婚によって日本の神々が誕生した/Wikipediaより引用

古代エジプトの神話に限らず、ギリシャや中国、日本でも天地創造に関する神話や建国神話に、神々の近親結婚のエピソードが存在します。

さらに神々の近親結婚で生まれた子供が英雄になり、超人的な能力で困難に立ち向かっていくという神話は多いです。

古代日本においても大和朝廷では兄弟婚が盛んに行われていました。

しかし、時代が下るにつれて近親交配の危険が注目されるようになります。

そして、次第にタブーとして見られるようになっていきます。

では古代エジプトにおいて、これほどまでに近親結婚がされてきたのでしょうか。

大きな理由としては、ファラオは創世神話のオシリス神とイシス神兄妹の子、ホルス神の生まれ変わりであるという考えが大きな影響を与えています。

ファラオという存在が神であるという考えを維持し、絶対的な王権や王としての威信を揺るぎないものにするための目的があったと思われます。

現代では近親結婚はタブーであることは強いです。

しかし、ファラオの近親結婚が歴史的に悪影響であったということそうではありませんでした。

むしろ、ファラオたちの近親結婚は「神聖な結婚」であり。古代エジプト文明の繁栄や文化の発展を導いてきたとも考えられるでしょう。

『参考文献』

イアン・ショー『古代エジプト』岩波書店 2007年

エヴジェン・ストロウハル『図説古代エジプト生活誌 』原書房 1996年

リ―セ・マニケ『古代エジプトの性』法政大学出版局 1990年

吉村作治『古代エジプト千夜一夜』近代文芸社 2009

 

古代文明大研究

歴史系ブロガーです。 小学生の頃からの古代文明が好きです。 古今東西の古代の歴史について調べています。 解き明かされていない謎について迫って行くことに面白みを感じています。(中々人に理解されないですよね~泣) 分かりやすく世界の古代史について情報発信をしていきます。 よろしくお願いします

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