エジプト 古王国時代

ピラミッドに都市?ピラミッドコンプレックスと住人の日常

エジプトに存在する数多のピラミッド。

しかし、単体で建っているものはひとつとしてありません。

ピラミッドは、付随する神殿や参道などがから成る壮大な葬祭施設の一部であって、

その周囲には、王から民まで、さまざまな身分階級の人々がひしめき合って暮らしていました。

これをピラミッドコンプレックスと言います。

古代のピラミッドは、古代エジプト人々の思い溢れる巨大都市の只中に建っていました。

近年の発掘調査で明らかになってきたピラミッド都市の全貌から、

あまり語られることなかったピラミッドを巡る人々の生活を見てみましょう。

ピラミッドコンプレックスの誕生

エジプトのピラミッドは世界中の学者たちによる緻密な調査によって、もはや「神秘」や「謎」の存在ではなくなったと言えるでしょう。

それでも、ピラミッド建設とも古代エジプト独自の葬送文化が、どのようにして成立し、古代社会にどんな変革をもたらしたのか、

その本質が総括的に語られることは少ないです。

エジプトで大型のピラミッドが造られた「ピラミッド時代」。

最初のピラミッドが建造された古王国時代第3王朝から、第2中間期第13王朝の終わりまで…

年代にすると紀元前2600年代からおよそ1000年間ほどの期間に当たります。

これは、上下エジプトを統一する王朝が強大になっていきます。

国家の基盤を形作りながら中央集権化が進んだ時期とぴったりと重なっています。

力を持ったファラオは神に等しい存在となります。

そして、死後も永遠の命を得て国家の秩序「マアト」を見守るという役割を担うと信じたられていました。

そのために必要不可欠だったのが、永遠の家である堅牢な王墓とこれに付随する埋葬や供養の儀式を行う神殿やあらゆる施設から構成されている「ピラミッドコンプレックス」でした。

このピラミッドコンプレックスは時代ごとに変遷しています。

階段ピラミッド:ピラミッドだけでなく、信仰に関わる施設も備わっていた/Wikipediaより引用

初期王国時代には、地下の墓室を覆う「マスタバ」と言われる長方形の建造物に礼拝堂がついているものでしたが……

古王国時代の第3王朝ジェセル王の宰相イムホテプよって、永続性のある切り石を地下の玄室の上に積み重ね、巨大な上部構造を待つスタイルへと大きく改良されます。

これがエジプト初のピラミッドであるサッカラの「階段ピラミッド」です。

ジェセル王のピラミッドコンプレックスは、長方形の敷地全体が凹凸のある高さ10mの周壁で囲まれていました。

ピラミッドコンプレックスの中止には高さ60mに及ぶ階段ピラミッドがそびえたって立っています。

階段ピラミッドの足元には入口柱廊、いくつかの神殿、貯蓄庫や祭礼用の中庭が配されていました。

この全体の施設すべてが、死者となった王が日々復活するための巨大な舞台装置です。

また。永遠の命を過ごす王の過ごす住まいでもあります。

威厳ある階段ピラミッドを中心に据えたジェセル王のピラミッドコンプレックスは、後世のファラオたちに影響を及ぼしました。

このスタイルは大がかり礼拝の場として機能する総合葬祭施設の手本となります。

後のファラオたちは、その中心にさらに美しいピラミッドを据えようと挑戦していきます。

真正ピラミッドとピラミッドコンプレックス

カフラー王のピラミッドとスフィンクス/Wikipediaより引用

第4・5王朝の頃は、首都メンフィスの北東にあった宗教都市、ヘリオポリスの太陽神崇拝が人気でした。

ヘリオポリスには太陽神ラーを祀る太陽神殿が建設されていました。

頭頂部には四角錘の岩からできた「ベンベン石」を据えた巨塔がそびえ立っていたと思われます。

一説には、その高さはジェセル王の階段ピラミッドをも凌いだとも言われています。

このベンベン石とは、ヘリオポリスの神学で聖なる石とされています。

「原始の海から出現し、太陽の光が最初にあたった地」を象徴すると考えられていました。

四角錘のベンベン石に対する信仰が、一般的によく知られている四角錘のピラミッドである真正ピラミッドの形に影響されてと言われています。

第4王朝の祖となってスネフェスの時代になると、はじめて側面に段差もない真正ピラミッドの建設を挑戦することになります。

しかし、最初からきれいな四角錘のピラミッドが建てられたものではありませんでした。

メイドゥームのピラミッドは表面の化粧石と詰め物が完全に崩壊してしまいます。

次に建造されたものは途中で曲がって変更されたもので、後に「屈折ピラミッド」と呼ばれています。

試行錯誤を経てようやく完成した初の真正ピラミッドは、夕日に赤く輝くことから「赤いピラミッド」と言われます。

さらにスネフルの息子であるクフは、後に世界七不思議のひとつとして数えられるエジプト最大の「大ピラミッド」を建造します。

その子カフラーは、父クフのピラミッドと隣接する場所に、真正ピラミッドと大スフィンクスを加えたピラミッドコンプレックスを築いています。

第5王朝になると、ピラミッドそのものは小さくなります。

その代わり、葬祭殿や供物奉献の間などが拡張され、また壁面や天井、柱には、王の冥界の旅や神話、神々などを描いたレリーフで装飾が施されるようになります。

ピラミッドコンプレックスは王の永遠の命を作り出すための施設として、おおくの物語が描かれていました。

ピラミッドコンプレックスと生活

ギザの三大ピラミッドの復元図/Wikipediaより引用

ピラミッドコンプレックスにおけるメインイベントは、ファラオの葬祭になります。

しかし、これはその後に続く永遠の供養の日々の始まりでもあったと言われます。

無事ファラオの棺が納められて以降、神官たちは朝夕に葬祭殿や礼拝所で香を焚きます。

経文を唱え、王像を清めて衣服を替え、王の永遠の生命を維持するために必要な肉や魚、ビール、パンや水などの供物を捧げます。

祭礼の際には特別な供物が準備され、様々な込み入った儀式を行っていました。

葬儀後も、こうした礼拝施設としての神殿の活動を支えるために、その内外には実に大勢の人々が起居していました。

神官を筆頭に、日々の供物となる農作物や布などを生産する人々や神殿に付属する貯蔵庫や文書館・役場で働く役人や書記、

さらにその下には、彼らの生活を支えられるあらゆる身分職業の人が集まってきました。

こうしたピラミッドの中心とした集落遺跡は「ピラミッド都市」と言われるものです。

このピラミッド都市は近年盛んに研究されるようになってきました。

古代エジプトの国土は基本的に王の所有物で、ファラオはピラミッドを建造すると同時に、その複合体に対して莫大なファラオの領地を授与して租税を免除しました。

神官団によって管理されたこの所領では、建設労働者たちの食料や神殿への供物が生産されました。

さらに余剰農作物により利潤を得たりもしていたようです。

ピラミッドコンプレックスに住まう人々は独立して経営を許されていました。

さらに王はこれと引き換えに、死後の永代供養の保険をかえることも可能でした。

各神殿や壁画には供物を掲げる人々の行列が描かれていることが多いです。

これは所領を取得する契約文書の一種として機能していたと言われています。

とくに古王国時代のファラオは、全土に民を送り込んで、新たな村やファラオの領土を開拓させています。

このためエジプト王朝の力が急速に成長することになります。

ピラミッドコンプレックスには、ナイル川の水運を利用して膨大な物資が集まり、ピラミッド都市も当然その恩恵を受けることになります。

ピラミッドは単なる葬祭施設というだけでなく、古代エジプトの経済を動かすインフラという性格もあるのです。

ピラミッド時代の末期と終焉

サッカラのウナスのピラミッド:完成されたピラミッドはほとんど無くなっていく/Wikipediaより引用

しかし、この政策はメリットもありましたが、デメリットもありました。

王朝の力が弱体化すると、遠くはなれた所領地では地元の豪族が台頭し始め、王家の求心力が落ちていきました。

第1中間期の地方分立の混乱の原因になります。

第1中間期に群雄割拠した地方豪族を抑え込み、波乱含みで始まった中王国時代も、第12王朝の頃には平穏になります。

このことからファラオたちの間では、古典文化復興の機運が高まっていました。

ファラオらは日干しレンガで古王国時代のようなピラミッドコンプレックスを造ります。

しかし、200年近い時間がすでに設計のノウハウは失われていました。

この時代のピラミッドはいずれも現在残っていません。

また、中王国時代にはファイユーム地方の開拓が始まっています。

おそらくファラオたちは、予算や労力を浪費するだけのピラミッド建設よりも、富国強兵に直結する灌漑工事や運河の整備、鉱山開発を優先したのでしょう。

第13王朝のケンジェル王のピラミッドを最後に大型ピラミッドを建設は終了します。

葬祭殿などを複合するピラミッドコンプレックスを維持するほどの力を持つ王は出現しませんでした。

新王国時代のテーベの私人墓や王朝末期のヌビアやメロエの王族・貴族の墓などにピラミッド形の墓が見られないわけではありません。

いずれも古王国時代への懐古趣味といった程度の小規模なものでした。

近年の考古学者の関心はもはやピラミッド自体の謎解きにはなく、もっぱらピラミッド都市の発掘調査に精力が向けられています。

さらなる今後の調査で、古代エジプトのピラミッドの実像を教えてくれるかもしれません。

『参考文献』

ミロスラフ ヴェルナー『ピラミッド大全』法政大学出版局 2003年

大城道則『ピラミッドへの道―古代エジプト文明の黎明―』講談社 2001年

大城道則『図説 ピラミッドの歴史』河出書房新社 2014年

吉村作治『痛快! ピラミッド学』集英社、2001年

吉成薫『ファラオのエジプト』廣済堂出版 1998年

吉村作治『四大文明―エジプト―』NHK出版 2000年

吉村作治『痛快! ピラミッド学』集英社インターナショナル、2001

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