エジプト 古王国時代

ジェセル王の階段ピラミッド~エジプト最古のピラミッドの内部や歴史とは?

多くの人々はピラミッドといえば、四角錘の姿をした古代の建造物を想像するかもしれません。

しかしエジプト最古のピラミッドは天に昇るような階段の姿をしていました。

古代エジプトでは、形や大きさはあらゆるピラミッドが造られましたが…

サッカラの階段ピラミッドはエジプト最古のピラミッドでありながら、あらゆる面で建築技術の先駆でした。

ではなぜ、四角錘の形ではなく階段のような形状になったのか。

どうして、ピラミッドを造ることになったのか。

階段ピラミッドや周辺の遺跡からその謎について探ってみましょう。

ジェセル王の階段ピラミッドの計画

イムホテプ(左)とジェセル王(右)/Wikipediaより引用

エジプトの首都であるカイロの南西約25㎞ほど行くとナイル川西岸に古王国時代の首都・メンフィスがあります。

その西の方には北のギザから南はダハシュールに至るまでの地域は、王や貴族たちの墓地遺跡である「ネクロポリス」の範囲になっています。

ジェセル王の階段ピラミッドはこのネクロポリスのほぼ中央に位置し、王朝の首都であるメンフィスに非常の近い場所にあります。

サッカラを象徴するこの遺跡が、第3王朝のジェセル王のピラミッドであるわけですが、誰もが想像する四角錘のピラミッドではありません。

ジェセル王のピラミッドはかなり特徴的な姿をしています。

石灰岩を積み上げた階段に空に向かっているような形になっており、頂上は平になっています。

この変わった形状の建造物こそが、古代エジプトで最初に造られたピラミッドの姿なのです。

第3王朝のファラオであるジェセル王は紀元前27世紀ごろにエジプト王朝をまとめ上げ、国力を発展させました。

さらにジェセル王は神官で宰相であるイムホテプに、王の権威や権力を象徴するための建造物を造ることを命じます。

宰相イムホテプは博学であり、建築家としても大変優秀な人物でした。

イムホテプはジェセル王の命令に受けて、今まで無い荘厳な王墓建設に乗り出します。

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何度もの増築を行っていき、今までにない建造物「階段ピラミッド」が完成することになります。

階段ピラミッドの画期的な特徴はこれだけではありません。

建設の資材に使用したのは日干しレンガではなく、石灰岩の利用した切石を階段ピラミッド全体に利用していることです。

石灰岩の利用は日干しレンガに比べて耐久力が高いため、長い時を経てもピラミッドを遺すことが可能となりました。

階段ピラミッドの施設への入口/Wikipediaより引用

ジェセル王のピラミッドの出現を皮切り、古王国時代はピラミッドの建設ラッシュが開始されます。

後のファラオたちはジェセル王のピラミッドを参考にして、さらに大規模なピラミッドを建設していくことになります。

そのほかにも、ピラミッド周辺に葬祭殿や神殿などの設けた「複合施設(ピラミッドコンプレックス)」と呼ばれる設計もイムホテプの功績によって誕生しました。

この複合施設はピラミッドコンプレックスと呼ばれ、後世の王墓の様式に継承されていきます。

古代エジプトの王たちの理想となり、ピラミッドの源流となったジェセル王のピラミッドコンプレックスは具体的どのようものだったのでしょうか?

階段ピラミッドのピラミッドコンプレックス

ジェセル王の階段ピラミッドの全体図/Wikipediaより引用

ジェセル王のピラミッドコンプレックスは、周囲を石灰岩の石壁に囲まれています。

石壁は高さ10、広さは、東西227mの広さを持つ施設となっており、全体の敷地面積は15ヘクタールあり、古代では都市1つ分に当たる広さを有していたようです。

周壁には15門のうち14門は偽りの門で南東の角に本当の門があります。

門を入ると列柱が並ぶ細長い回路があり、この柱は石灰岩の切石を積んだものであり、丸太をモチーフにした柱が配置されています。

ジェセル王の葬祭施設の特徴ついては、列柱や墓室の天井や梁などはパピルスやヤシの木、やい草の束などのデザインがもとになっている装飾が施されています。

この装飾は初期王国時代の王墓などが葦や木材を使って造られたために、石材を利用してもデザインは伝統的なもの踏襲されたと見るのが有力です。

列柱に囲まれた薄暗い通路を抜ければ、光に満ちた南の中庭に出ると荘厳な階段ピラミッドが立ちそびえています。

マスタバ墓:アラビア語でいう「ベンチ」が由来/Wikipediaより引用

ジェセル王の階段ピラミッドは、底辺の長さが南北128m、東西140m、高さは60mに及びます。

しかし一挙にこのような形になったわけではなく、もともとは1段で作った台形の墓であるマスタバでした。

そのマスタバの上に増築工事を行い最終的に6段まで積み上げられもの、つまりはマスタバ上にマスタバを積み上げて完成したのが階段式の由来です。

ちなみに、マスタバとはアラビア語で「ベンチ」を意味し、台形の墓の中には礼拝堂と地下に埋葬室が設けられています。

このマスタバの様式は初期王国時代の王墓の様式を似ていることから、前時代の様式を踏襲しているといえるでしょう。

サッカラは初期王国時代の貴族のマスタバ墓が集まっています。

ジェセル王の時代には王墓を造るにあたって、有力者たちの墓地が集うサッカラを選んだと考えられます。

謎が多い階段ピラミッドの内部

階段ピラミッドの内部図/インスタグラムより引用

階段ピラミッドの地下には数々のトンネルや竪穴、倉庫に墓室が造られています。

ジェセル王の葬祭施設には、周壁には偽の門やピラミッドの地下室や神殿の至るところに入口がない部屋や見せかけの扉、建造物の模型などが設定されているなど謎の多い室内になっています。

階段ピラミッドの東側にある「北のパビリオン」「南のパビリオン」も偽りの建物であり、建造後、一度砂に埋められた証拠があると言われます。

階段ピラミッドの地下に「北の墓」と呼ばれる王の玄室が設置されていますが、中庭の西南隅の地下にも「南の墓」と呼ばれる埋葬施設があります。

この南の墓は、北の墓をほぼ忠実に真似たものになります。

ここは王の遺体から取り出した内臓を納める空間である説。

または、王の霊魂(カー)を慰霊する場所という説などが研究者たちの中で唱えられていますが、実際はどのようなものであるか解明されていません。

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しかし、こうした謎の鍵を握るのは「セド祭」という祭典の様です。

セト祭とはファラオが即位して30年目に行われるとされる王位更新の儀式になります。

ファラオはこの世の中心的な存在する古代エジプトでは、ファラオの生命力は世界の生命力の根源とされていました。

セド祭ではいくつかの儀式が執り行われて、中にはファラオがエジプト全土の権利証書を持ちながらマラソンをする儀式がありました。

これは王が統治を続ける体力があるのかを試す儀式であったと言われます。

ピラミッド前の中庭に距離を空けて並ぶ2つの遺構は、その走路の折り返し地点として使われた建築物だと考えられています。

また、中庭の東側には「セド祭複合体」と呼ばれる建造物群の遺構が残っています。

これらも礼拝堂と同様に造られ、その内部には瓦礫が詰められていて中には入れない特徴があります。

そして、南の墓にある偽の扉の一つには、セト祭のために疾走するジェセル王がレリーフに刻まれています。

ジェセル王のセルダブ:セルダブとは小さな穴のある密閉された部屋で、故人の魂を崇拝する施設。左ような壁の穴を覗くと右のようなジェセル王の座像が見える。Wikipediaより引用

ピラミッドの北側には、ジェセル王の葬祭殿があり、ここには密閉された小さな部屋があり、その窓からはジェセル王の座像が置かれています。

このジェセル王の座像は彼の供養に使われたものとされ、威厳ある王の姿をされています。

サッカラにあるジェセル王のピラミッド葬祭施設には、たくさんに興味深い遺構や遺物が残されています。

しかし、これらになんの意味があるのかは全く理解されていませんが、何のためにこのような構造で造られたのかが非常に気になるところです。

階段ピラミッドが残したもの

サッカラの階段ピラミッドとその複合施設/Wikipediaより引用

古王国時代に現れるジェセル王のピラミッドコンプレックスは多くの人々に大きな影響を与えただけではありません。

ジェセル王のピラミッド建設により、古王国時代はピラミッド建設が国家事業として確立していきます。

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切石を運び、積み重ねる大土木工事が測量技術や数学が急速に発展し、工事の内容を記録するために文字や言語が統一されていきます。

また労働力である農民層には、ナイル川が氾濫する農閑期の失業対策となり、ファラオのために労働する意識が芽生えさせるなど、労働者を動かす管理体制が構築されました。

ピラミッドの建造を通じて、エジプトは名実ともに民衆の結束力に支えられた強大な国家へと発展させていく要因となっていきます。

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ジェセル王の死後、サッカラでは11基ものピラミッドが建設されていきます。

古王国時代の首都メンフィスおいても、階段ピラミッドの存在はファラオの威信を得る効果は大きかったと思われます。

その後、階段ピラミッドは試行錯誤の果てに、より安定した四角錘のピラミッドの姿へと進化を遂げました。

しかし、階段ピラミッドの設計者であるイムホテプは、なぜ「階段式」という形にしたのでしょうか?

この議論については様々な見解が示されているようで、興味深いものではサッカラでは時折、地平線状の日輪が階段状に見えるようです。

この現象からファラオと太陽を結びつけたのがその由来であるという説があります。

その他には、死んだファラオの魂が天へ昇っていくための階段であるという説です。

ピラミッド第1層のマスタバ墓が先代のファラオのもの。

これに新しくマスタバ墓を重ねていくことによって先代を供養し、先代の存在を上回ろうとしたという見解もあります。

以上のように、ジェセル王の階段ピラミッドに関する見解は数多ありますが、明確な答えは導かれていません。

しかし、ジェセル王の階段ピラミッドの研究が進めば、古代エジプト文明の本質や様相がより解明されていくことは確かでしょう。

今後の研究の動向が気になるところです。

『参考文献』
ミロスラフ ヴェルナー『ピラミッド大全』法政大学出版局 2003年
大城道則『ピラミッドへの道―古代エジプト文明の黎明―』講談社 2001年
大城道則『図説 ピラミッドの歴史』河出書房新社 2014年
吉村作治『痛快! ピラミッド学』集英社、2001年
吉成薫『ファラオのエジプト』廣済堂出版 1998年
吉村作治『四大文明―エジプト―』NHK出版 2000年
吉村作治『痛快! ピラミッド学』集英社インターナショナル、2001

古代文明大研究

歴史系ブロガーです。 小学生の頃からの古代文明が好きです。 古今東西の古代の歴史について調べています。 解き明かされていない謎について迫って行くことに面白みを感じています。(中々人に理解されないですよね~泣) 分かりやすく世界の古代史について情報発信をしていきます。 よろしくお願いします

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