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クフといえば古代最大規模の建築物で知られるギザの大ピラミッドが著名ですが、その父スネフェルも、1代で3基ものピラミッドを建設しています。
しかし、スネフェル・クフ親子の詳細については謎が多く、後の歴史家によってスネフェルを「慈悲の王」、クフを「残虐王」というイメージが伝えられているだけ。
はたして、彼らはどのようなファラオだったのでしょうか?
実態に迫っていきたいと思います。
評価が分かれるスネフェル・クフ親子
古代エジプト史上、もっとも強烈なインパクトを与えてくれるピラミッドという巨大建造物。
しかし、最初に造られた最初のピラミッドは、私たちがイメージするような四角錘で三角の形状ではなく階段式でした。
有名な三角式の「真正ピラミッド」と呼ばれているものが登場したのは、紀元前26世紀ごろから始まる第4王朝からです。
そして、その主役ともいえるファラオがスネフェルとクフになります。
クフといえば、ギザの大ピラミッドを造ったファラオとして有名ですが、同時に彼には「残虐王」としての印象が非常に強くつきまとっています。
一方、スネフェルは第4王朝の創始者にして、クフの父親にあたります。
彼はクフに先駆けてはじめて真正ピラミッドを建設したファラオですが、後生の評価では息子と対照的に、善政を行った「慈悲の王」として知られています。
このように、スネフェルとクフの父子王を語るうえで、ピラミッド建設は欠かせない存在と言えます。
しかし、そこの功績があまりにも大きいため、肝心の彼らの素顔が陰に隠れてしまっているため、後世のイメージが先行してしまっています。
父スネフェルは本当に「慈悲の王」で、息子クフ王は本当に「残虐王」であったのでしょうか?
そして、彼らは、ピラミッド建設以外にどのような政治を行っていたのでしょうか?
まずは、スネフェルの生き立ちと真正ピラミッド建設の背景については触れていきます。
真正ピラミッドを作り上げたスネフェルとは
第4王朝の始祖スネフェルは、第3王朝最後のファラオであるフニの王子とされていますが、母は側室の中でも下の方の出身でした。
その理由から、もっと上の階級の王妃が生んだ娘と結婚することで、ファラオの地位を継承できるよう彼は考えます。
父フニ王の死去により、スネフェルはファラオとして即位することができ、第3王朝の嫡流は断絶し、第4王朝が始まることになります。
スネフェルの治世の特徴は、エジプト王朝で最初に真正ピラミッドを造ったということ。さらに、1代で複数のピラミッドを建設したファラオであることとでしょう。
こうしたファラオは彼以外いないので、歴代のファラオにおいても異色の経歴を持っていることが分かります。
スネフェルが建造したピラミッドは確認されるもので、在位中に3基のピラミッドを造っています。
メンフィスの対岸に所在するダハシュールに2基。その南に位置するメイドゥームに1基も建造しています。
しかし、メイドゥ―ムのピラミッドは先代のフニが建設をはじめ、それをスネフェルが引き継ぐという形で着工しましたが、未完成のまま建設を終了しています。
第3王朝のピラミッドは、高くしていくにつれて表面の段差をつけていく階段ピラミッドでした。
当初のメイドゥ―ムのピラミッドは階段ピラミッドでしたが、それをスネフェルがそれぞれの段差に石材を継ぎ足して表面を滑らかにし、正四角錐の姿にする目的であったそうです。
このスネフェルが最初に着手したメイドゥ―ムのピラミッドは、積み上げた石材が崩れ落ちて、ピラミッド内部が露出しているものになっています。
そのことから「崩れピラミッド」と称されるピラミッドとなりますが、真正ピラミッドを建築するまでの第一歩のピラミッドであると評価していいでしょう。
また、ダハシュールに建設されている2つピラミッドからも、真正ピラミッドを造る際に試行錯誤している様子を伺えます
というのもダハシュールの内の1基は「屈折ピラミッド」と呼ばれる表面の傾斜角が途中で変わり、下段の角度54度で上段が43度となっている不可思議なピラミッドがあります。
「屈折ピラミッド」が下段の傾斜角54度で作られていた場合、120mほどの高さになりますが、途中で傾斜角が変更しているため、実際は100mほどの高さを有します。
しかし、スネフェルは「屈折ピラミッド」では満足行かなかったのでしょう。もう一度ピラミッドを作成に当たります。
それが赤い石灰岩を利用して作られたことから「赤いピラミッド」と呼ばれるもので、傾斜角43度で105mほどの高さを持つ真正ピラミッドが完成します。
ついに3基目にして真正ピラミッドが完成したのです。スネフェルが試行錯誤してピラミッドの建設に当たっていたことがわかります。
これ以降、ピラミッドの形状は正四角錐の形状をした「真正ピラミッド」が主なものなり、息子クフによって受け継がれてることになります。
しかし、3度ものピラミッド建設は、莫大な資材と労働力を必要としました。そのため、スネフェルはこれらを国外へ侵攻することを目論みます。
まず、エジプトの南にあるヌビア地方(いまのスーダンあたり) に先代の王朝から続く反乱を鎮圧するという名目で侵攻し、7000人ほどの捕虜を拘束。
東のシナイ半島や西のリビアにも出兵することで、捕虜や資材、さらに鉱山資源を獲得していくことに注力していきます。
その他にも、スネフェルの時代は他国との交易が盛んに行われたことで、エジプトで不足している木材を主にレバノンから獲得していきます。
この時、40艘ほどの舟を使って輸入したという記録が残っています。
こうした国外に労働力や資源を確保することで、エジプトに大きな利益をもたらせ、国力を強くしたことから、後の時代に強力なファラオと認知されます。
また、国内に善政を行ったことから「慈悲の王」として後世に伝説として伝えられることになります。
このスネフェルが作り上げた権力やシステムが、息子クフの強大なピラミッドを作ることに継承されていきます。
クフ王は暴君?残虐な行為とは?

クフ王の小像/wikipediaより引用
スネフェルの治世は24年で終えることになり、その後は息子のクフがファラオになります。
クフは父スネフェルと同様に対外政策に力を入れ、交易によるもたらす利益や積極的な軍事活動を行っています。
これにより、ピラミッド建設のための費用を稼ぐことに成功します。
さらにこの活動で誕生したのが、古代エジプト史で最大級の建造物である「ギザの大ピラミッド」です。
表面の傾斜角51度で高さ約147mにも及ぶというギザの大ピラミッドですが、父スネフェルの試行錯誤が生かされて完成したと言えるでしょう。
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しかし、古代エジプトを代表する建築物を遺したクフですが、後世の著名な歴史家であるヘロドトスは、彼のことを「残虐王」と評価しています。
その主張して、巨大ピラミッドを建設するために多くの奴隷を使って人々を苦しめたというもの。
ヘロドトスはこう評価したのは、エジプトで現地の人々に話を聞いたことによる判断です。
では、なぜ、クフは後世のエジプト人から「残虐王」と言われるようになってしまったのでしょうか?
その理由を紐解くものとして、クフと神官たちの関係を考えると理解が深まります。
それまでのエジプトでは太陽神ラーが信仰されていましたが、その信仰をやめさせて新たにクヌム神を信奉させた記録があります。
この政策を行ったのは、強大な権力を持っていたラーの神官たちを牽制するための処置であると言われています。
クフのこうした行動は、太陽神を信仰する人々の記憶に深く刻まれ、太陽神を軽んじた王として認知されてた…
そうした伝承が伝わっていき、ヘロドトスの時代には悪名高き王としての印象を刻まれた結果になったのでしょう。
現在、クフに関する資料はかなり少ない状況であるため、ヘロドトス時代の評価が一人歩きしてしまっています。
しかし、スネフェルの統治のあり方を継承したクフは、父と同様の尊敬を得た王であった可能性もあったのではないかと思います。
強大なファラオとして崇拝されるスネフェルとクフ

ギザの三大ピラミッドのナイトショー:スネフェル・クフ親子の挑戦が後世のエジプトの歴史に大きな影響を与えた。/wikipediaより引用
約24年の治世を終えたとされるクフですが、その後を継いだカフラーやメンカウラーと言ったファラオたちも、先代に倣って真正ピラミッドを造っています。
しかし、クフの代で技術的な完成をみた真正ピラミッドも、その規模は小型化していくことになります。
メンカウラーのピラミッドは高さが約70mと祖父クフのピラミッドよりも格段に低ものに。
「困窮する民のために慎ましいピラミッドを造営した」とヘロドトスは述べていますが、実際は国内情勢の悪化などが要因と推測されているようです。
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1代で複数のピラミッドを造営したり、世界最大規模のピラミッドを造営する背景を見れば、ファラオに名声や強大な権力がなければ達成できなかったことでしょう。
後の時代の評価が分かれるスネフェル・クフ親子ですが、どちらも「強いファラオ」の象徴的存在として認められていたことは確かです。
スネフェル・クフ両者に関する資料はあまりにも少ないため、その実像はわからないことが多い…
しかし、彼らが造ったピラミッドからファラオとしての「強さ」がハッキリと感じ取れるのではないでしょうか。
『参考文献』
ミロスラフ ヴェルナー『ピラミッド大全』法政大学出版局 2003年
大城道則『ピラミッドへの道―古代エジプト文明の黎明―』講談社 2001年
大城道則『図説 ピラミッドの歴史』河出書房新社 2014年
吉村作治『痛快! ピラミッド学』集英社、2001年
吉成薫『ファラオのエジプト』廣済堂出版 1998年
吉村作治『四大文明―エジプト―』NHK出版 2000年
吉村作治『痛快! ピラミッド学』集英社、2001年