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ハンムラビ法典―「目には目を、歯には歯を」で有名な復讐法の真実

紀元前18世紀頃、チグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミアでは多くの国家が乱立し、その覇権を争っていました。

そんな戦乱の時代の中 強国を次々と打ち破り、メソポタミアを統一した国がありました。

ハンムラビによって率いられた王国バビロニアです。

そして複数の民族からなる誇大な領土を手に入れたハンムラビは安定した社会を目指し、ひとつの法典を作ることになります。

ハンムラビ王の言葉を記録した法典は、王の名前からハンムラビ法典と呼ばれています。

ハンムラビ法典の「目には目を…」の本当に意味

ハンムラビ法典の石碑の条文:1902年イラクのスーサで石碑が発見される/Wikipediaより引用

もし目を損なったなら相手の目を潰し、歯を折ったのなら相手の歯を折らなければならない―

この有名な条文から、ハンムラビ法典は暴力に対して暴力で報復を行う、野蛮な復讐法であるとのイメージあるでしょう。

しかしこの条文は、そもそも行き過ぎた暴力を抑制するために作られたという目的があります。

法典が制定された当時のバビロニアは、ハンムラビによってメソポタミア地方の統一がなされたばかりでした。

その支配地域は過去に例がない広大な地域となり、バビロニアは文化や風習のちがう民族が混在する不安定な状態でした。

そうした状況の中で、ひとたび犯罪が起きれば、犯罪者に対して過剰な報復行為が起きる危険があります。

さらに事態が悪化すれば、被害者と加害者が周囲を巻き込んで血みどろの報復合戦になってしまう可能性すらありました。

ハンムラビはこのような行き過ぎた報復を禁止します。

法典の石碑と一緒に発見されたハンムラビ王の彫像/Wikipediaより引用

そして、セム系民族の間で行われてきた犯した罪と同等の報復によって解決するという方法を法律として採用します。

ハンムラビ法典は全部で282条存在し、その全文は玄武岩製の石碑に刻まれました。

石碑は誰もが法典の内容を読めるように神殿に建立します。

その上部には正義をつかさどる太陽神シャマシュから人々を救う使命を受けるハンムラビが描かれています。

メソポタミアでは王の使命として弱者を保護し、社会の秩序と正義を守ることが課せられていました。

石碑に描かれたハンムラビ法典のレリーフは、ハンムラビが神々から王として認められたことの象徴でもあります。

また、石碑にはハンムラビの王位が神々によって授けられたことが、ハンムラビ法典のレリーフによって語られています。

ハンムラビ法典の刑罰

ハンムラビ法典を写した粘土板:バビロニアでは法典の条文を写した粘土板が作られ、都市の神殿に置かれた/Wikipediaより引用

ハンムラビ法典というと、まず第一に「目には目を」の条文を思い浮かべるでしょう。

しかし当然のことながら、この法典にはほかにもさまざまな条文があります。

ハンムラビ法典の定める法律とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

「目には目を」の言葉通り、ハンムラビ法典では傷害や殺人について、基本的に犯した罪と同等の刑罰を科しています。

しかし、中には例外もあるのです。

それは市民と奴隷など、地位のちがう人間の間で事件が起きたケースです。

バビロニアでは、人々は自由市民であるアヴイールムと高級奴隷であるムシュケヌ、そして奴隷の3つの階級に分かれていました。

この階級は絶対で、1つ階級がちがうだけでその扱いには天と地ほどの差があったのです。

自由市民であるアヴィールムがムシュケヌや奴隷に傷を負わせたときには、罰金によって解決をします。

逆にムシュケヌがアヴィールムを傷つけた場、合には、ただ相手を殴っただけだとしても、両耳を切り落とされなければなりませんでした。

またおなじ階級であったとしても息子が父親に手を上げることも重罪とされ、殴った腕を切り落とすと定められていました。

刑罰が科せられる罪としては、このような単純な暴行や殺人だけではなく、詐欺や窃盗、強盗、名誉殴損などが挙げられます。

とくに窃盗や強盗は重罪で、犯行を行った人間はもちろん、盗品を買い取った人間も同罪として死刑に処されたといわれます。

しかしこのような罪を犯した犯人が、自ら罪を名乗り出るわけはありません。

これほどの厳しい刑が科せられるのであれば、否認するのが当然でしょう。

ハンムラビ王の裁判図/Instagramから引用

このような場合、真偽は裁判によって判断されました。

バビロニアの裁判は、告発者によって容疑者が告発されることから始まります。

しかし被害者が告発をする際には、重大な覚悟が必要でありました。

それは、場合によっては告発した人間が逆に罪を問われることがあったからです。

相手を殺人罪で告発したとき、告発を行った人は容疑者の罪を立証しなければなりませんでした。

もし立証ができなかった場合、告発した人間は逆に死刑とされてしまうからです。

例えば呪いを受けたとして被害の訴えが起こされた場合には、容疑者は無実を証明するために流れの急な川へと飛び込み、川の神による審判を受けます。

容疑者が無事川から戻って来た場合には、被害を訴えた人は死刑となった上に財産を容疑者に渡すことになっています。

告発者に対してここまで厳しくするのには、むやみな告発を抑制する意味があったのです。

告発が受理されると、舞台は裁判へと移ります。

ために流れの急な川へと飛び込み、川の神による審判を受けます。

容疑者が無事川から戻って来た場合には、被害を訴えた人は死刑となった上に財産を容疑者に渡すことになっていました。

告発者に対してここまで厳しくするのに裁判は主に宮殿や神殿の中で行われ、3人~10人の裁判官たちが協議して判決を下します。

裁判官となる人間がいない地方の都市では、長老や神官がその役割を担っていたようです。

裁判中の記録や判決は、裁判官の右側に待機した書記によって粘土板に刻まれ、法的な資料として残されています。

粘土板の資料によると、判決は基本的にはハンムラビ法典の条文に照らし合わせて決定されていました。

しかし、場合によっては法典の内容とは異なる判決が下ることがあったようです。

こうしたことから、ハンムラビ法典は、厳密に言えば、絶対の強制力を持った法律ではなく、裁判の指針を示した判決集だったのではないかともいわれています。

ハンムラビ法典の刑罰以外の法律とは?

ハンムラビ法典の写しの粘土板/Wikipediaより引用

その厳しい罰則のため、刑罰にばかり目が向けられやすいハンムラビ法典だが、法典の中には刑法のほかにも、日常生活にかかわる法律が制定されています。

例えば仕事の報酬については「大工が家を建てた場合には報酬として1ムシャル(約36平方メートル)につき銀2キシル(約17グラム)を支払うべし」といったもの

「医者が市民のケガを治したときには、銀10キシル(約83グラム)の治療費を受け取ることができる」などと定められています。

その範囲は農業や商業、兵士の結婚など幅広いものです。

中でも、女性の社会的地位が低かった古代において、ハンムラビ法典が女性に一定の保護と権利を与えていたことも、特筆すべきことでしょう。

法典の条文の中には「妻が皮膚病にかかった場合、夫は第2夫人を娶ることはできるが、皮膚病にかかった妻とは離婚せず面倒を見なければならない」とあり、

このことから「夫との離婚を決意し、彼女に落ち度はなく、夫が妻を軽んじていたのならば実家へと戻ることができる」というものです。

これは結婚生活における女性の権利も保証されていることを意味します。

バビロニアは厳格な階級社会でしたが、結婚につては階級による差別はなかったようです。

例えば男性側が奴隷で、女性側が上位のアヴィールムの場合でも結婚は可能でした。

その間にもうけられた子供は奴隷ではなく、アヴィールムの子供として育てられました。

継承されていくハンムラビ法典

エラム王シュトゥルク=ナクハンテのレリーフ:ハンムラビの石碑の写し、自身のレリーフとして利用した/Wikipediaから引用

ハンムラビ王が治めていた時代のバビロニアは、社会的・文化的にきわめて洗練された国でした。

そしてハンムラビによって制定された法典は、成長を遂げる帝国の中で社会の安定を維持するという、重要な役割を担っています。

しかし、バビロニアは紀元前16世紀頃にヒッタイトの侵略を受け滅亡してしまいます。

しかしバビロニアが滅亡した後も、ハンムラビ法典は生きつづけました。

バビロニアの滅亡後、この地がアッシリアの支配を受けるようになっても、ハンムラビ法典は写本によって受け継がれたのです。

その後も法典は幾度となく書き写されます。

紀元前6世紀頃の後期バビロニア時代まで、実に1200年にわたってバビロニアの重要な法典として尊重されました。

ハンムラビが定めた法典は、弱者を守り、当時の社会制度の中で、可能な限り公平な社会を作るという彼の考えによって定められたものです。

復讐法としてのイメージが強いハンムラビ法典だが、その目的はやみくもに処罰を行って人々を恐怖で縛ることではありません。

逆に多民族が共存し、人々がより幸福な生活を送れるようにすることでした。

だからこそハンムラビ法典は1000年以上にわたって人々に受け入れられたのです。

古代文明大研究

歴史系ブロガーです。 小学生の頃からの古代文明が好きです。 古今東西の古代の歴史について調べています。 解き明かされていない謎について迫って行くことに面白みを感じています。(中々人に理解されないですよね~泣) 分かりやすく世界の古代史について情報発信をしていきます。 よろしくお願いします

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