オリエント メソポタミア都市国家

新バビロニアの王ネブカドネザル2世は本当に暴君だったのか?

紀元前7世紀、メソポタミア地方では数々の都市国家が築かれましたが…

その中で最も繁栄のしたのが新バビロニア王国でしょう。

新バビロニアの王であったネブカドネザル2世がその首都バビロンに空中庭園やバベルの塔を築き、

強大な指導によって今までにない栄華を極めた王国を築け上げます。

しかし、ネブカドネザルは歴史的に悪名高い「バビロン捕囚」を行った王としても知られています。

果たして、ネブカドネザルは偉大な国家の指導者だったのか、それとも悪逆非道の暴君だったのか?

バビロニアの王の真相に迫りたいと思います。

ネブカドネザル2世の生い立ち

カルケミッシュの戦いの図:紀元前605年ネコ2世率いるエジプト軍とネブカドネザル2世率いるバビロニア軍が戦闘する。/Wikipediaから引用

紀元前8世紀中盤からメソポタミア地域で勢力を拡大したアッシリアは、初の世界帝国と言われました

最盛期において西はエジプト、南はバビロニアまでを支配するに至ります。

しかし、アッシリアの統治は非常に残虐的であったとされ、諸民族の反感を招くことになりました。

バビロニアにおける反乱の主導者は、カルデア人のナボポラッサルでした。

ナボポラッサはアッシリアの国力が衰退するとバビロニアへ入城

紀元前625年に新バビロニア王国の誕生を宣言します。

その後、メディア王国を連合しアッシリアの首都ニネヴェを陥落させることになります。

この新バビロニア建国の王ナボポラッサの子供として産まれたのが、ナボポラッサの後継者となるネブカドネザル2世です。

ナボポラッサは「最初に生まれた、我が心からの寵児」としてネブカドネザル2世を寵愛し、成長するたびに遠征に引き連れ、軍事の英才教育を施します。

ネブカドネザル2世の円筒形碑文:バビロンにおける建設・再建事業について記されている。/Wikipediaより引用

ナボポラッサが歳を取るとネブカドネザル2世に軍事面ですべての権力を譲渡し、ナボポラッサは引退することになります。

将軍となったネブカドネザル2世がまず最初にしたことは、エジプトが支配下にしているシリア・パレスチナ地域の支配権を手に入れることでした。

これはアッシリアの残党と手を組んで抵抗し続けるエジプト軍を徹底的に降伏させるという目的もあります。

ネブカドネザル2世率いる新バビロニア軍は、紀元前605年にエジプト領のカルケミシュという都市に侵攻することになります。

ネブカドネザル2世は父親譲りの軍事的才能から、カルケミシュにおいてエジプト軍に大いに負かすことが出来ましたが…

不運にもその途中に父ナボポラッサ死去の知らせが舞い込むことになります。

ネブカドネザル2世の反撃と王位継承

イシュタル門に書かれたネブカドネザル2世の碑文:イシュタ門を建設した背景について書かれている/ https://visualhunt.comから引用

父ナボポラッサの死を聞いたネブカドネザル2世はひとまずエジプトを撤退。

すぐさま、バビロニアに引き上げます。

というのも、本国では、ネブカドネザル2世の弟であるナブシュムリシルはじめ王位を狙う政敵が出現…

そのため、ネブカドネザル2世としては、彼らが動く前に先手を打つ必要がありました。

急を要する一大事に際し、ネブカドネザル2世は驚くべき決断をします。

ネブカドネザル2世は遠征中の軍隊の本隊と特殊部隊を引き連れて、アラビア砂漠を突破

この行軍はバビロニアへの最短距離になりますが、距離として890㎞もあります。

極めて困難な道のりであることが分かります。

しかし、ネブカドネザル2世は11日目で無事に王都に到着し、この強行を見事に成功させます。

この大胆な行動を支えたのはネブカドネザル2世の頑強な体力と精神力、そして後継者としてのプライドでした。

また、ネブカドネザル2世自身は後に…

「マルドゥクは我が願いを受け止められた…その力強いご加護によって、余は険しい道、何人も乗り越えることができない道を達成することが出来た。」

そう述懐したように、バビロニアの主神マルドゥクの加護を信じて疑わなかった信仰心が強行を突破させたようです。

王都バビロニアに着いたネブカドネザル2世は、王位継承を声高らかに宣言します。

「私はネブカドネザル、謙虚にして献身的な者、偉大なる神に畏敬を抱く者、高貴な聖職君主、エサギとエジダ神殿の維持者、ナボポラッサルの息子、バビロンの王」

この文言は王位を継承した以降、バビロニアのあらゆる建築に刻まれることとになります。

ネブカドネザル2世がエルサレムを攻撃した理由とは?

ネブカドネザル2世によるエルサレム征服/Wikipediaより引用

形ばかりの協定が意味をなすはずもなく、ネブカドネザル2世の帰国以後、エジプトは早々に対立色をあらわにし、シリア諸国の王に対しても、新バビロニアに抵抗するよう扇動します。

大半の国々が新バビロニアへの重い年貢と引き替えに友好の道を選んびましたが、ユダ王国やフェニキアの港湾都市テュロスは、新バビロニアに反旗を翻します。

これを受けて紀元前597年、ネブカドネザル2世はエルサレムを攻囲、多くの捕虜をバビロンへと連行

その後紀元前586年の傀儡王ゼデキアの裏切りは、ネブカドネザル2世によるエルサレムの徹底的な破壊と第2次捕囚を招くことになります。

これが悪名高い「バビロン捕囚」であり、ここからユダヤ人の苦難の歴史が始まったと言われています。

バビロン捕囚が『旧約聖書」や後世において語られるとき、ネブカドネザル2世は、諸悪の根源、破壊の神、暴君の元祖といえるでしょう。

しかし史実は少しばかり様子が異なるようです。

ネブカドネザル2世は他国に侵攻し、連行した高級官僚、異邦の大使、打ち負かした国の君主などをブレーンとして登用します。

とくにユダ王国の学識エリートや専門職人の知識は、都市土木事業に役立てられました。

囚われたユダ王エホヤキンとその臣下の生活もまた、アッシリアの血なまぐさい征服に比べて、意外なほど丁重に扱われたと言われます。

フランスのポワティア大聖堂にあるネブカドネザル2世(正面)の像:旧約聖書の世界では、ユダヤ人を苦しめる暴君として描かれている/Wikipediaより引用

そのため、歴史家エルンスト・フォークトは、ネブカドネザル2世が慈悲深い性質であったと分析しています。

また、捕らえられたイスラエルの人々には、民族の風習と伝承、そして宗教を守ることが許されていました。

ネブカドネザル2世は間違いなく征服者であったが、優れた統治者という側面も確かに備えていたと思われます。

その行動は即位に至るまでの経緯からもわかるように、目的意識が明確でかつ迅速でした。

例えば、エルサレムを陥落させること、すぐさまネブカドネザル2世はその標的をテュロスへと転換しています。

テュロスを拠点としていたフェニキア人は小麦、オリーブ、ワインなどのほか、レバノン杉という豊富な木材資源をもっていました。

森林に乏しいバビロニアに地盤を置くネブカドネザル2世の狙いは、そこにあったのでしょう。

ネブカドネザル2世は、テュロス周囲の交通を遮断する包囲作戦を取ります。

この戦いは13年と長期に及び、紀元前564年、疲弊したテュロスに新バビロニアが一応の勝利を収めた。

レバノン山脈のベカ渓谷に遣るレリーフには、刺繍の施された衣と冠を身に着けたネブカドネザル2世が敵をあらわすライオンと戦い、杉をなぎ倒している姿が象徴的に描かれている。

ネブカドネザル2世によるバビロニアの繁栄

16世紀のオランダ人画家マルティン・ファン・ヘームスケルクによるバビロンの空中庭園:こうした豪華絢爛の建築費用は他国からの税の徴収で賄われた/Wikipediaより引用

ネブカドネザル2世が対外的な野心を抱い た目的は、服属した住民から税を徴収したようです。

これは帝国建設に必要な資金を得るためであり、征服地の資源を得ることが目的でした。

その結果、バビロニアには空前の繁栄がもたらされ、広大な領土からは富が集中。

そしてネブカドネザル2世は、永年の夢であった王都の建設事業に注力します。

彼は王宮や神殿を建築し、その市街を囲む周壁を造営、さらには「バベルの塔」と呼ばれたジグラット、砂漠の中には空中庭園を築いていきます。

こうして新バビロニアの強固で壮麗な都市は、ネブカドネザル2世の大胆な発想と想像力によって、入念に造り上げられていったのです。

ある粘土板文書には次のように記されています。

「彼は己の正義にかけては妥協を許さなかった。昼夜を問わず、偉大なるマルドゥクの御心にかなうよう、万民の平安とバビロニアに平和を増すために、良識と節度に従い書面よる判決と決定を下した。」

ネブカドネザル2世の的確な判断力と人並みはずれた行動力が理解できます。

そして圧倒的なカリスマ性によって、43年という治世の間に新バビロニアは名実ともに大帝国へと成長することになります。

その支配領域は、メソポタミアを中心に東はアラプハ、西はガザ、南東はスーサ、南はペルシア湾上の島々にまで及ぶことのになります。

古代文明大研究

歴史系ブロガーです。 小学生の頃からの古代文明が好きです。 古今東西の古代の歴史について調べています。 解き明かされていない謎について迫って行くことに面白みを感じています。(中々人に理解されないですよね~泣) 分かりやすく世界の古代史について情報発信をしていきます。 よろしくお願いします

-オリエント, メソポタミア都市国家
-, , , , , , , , ,

© 2021 古代文明大研究 Powered by AFFINGER5