オリエント メソポタミア都市国家

ウルのジグラット 月の神を祀るシュメール文明の神殿都市

かつて、メソポタミアの南、ユーフラテス河畔の緑豊かな大地にシュメールの都として名を馳せた神殿都市、ウルがありました。

その街には、シュメールのどんな都市よりも大きな青いジグラットが建ち

聖域には月神ナンナルを祀る拝殿や壮麗な王宮が威容を誇っていました。

古代の人々はいかなる想いでこの巨大神殿を造ったのでしょうか?

そして都市にとって、この神殿はどのよう な機能を担っていたのでしょうか?

4000年の忘却から掘り起こされたウルの神殿遺跡、その全貌を探ってみたいと思います。

大都市だったウルの全貌

ウル遺跡の発掘の様子/Wikipediaより引用

ウルの遺跡は、現在のイラクの首都バクラッドの西南約300Kmの砂漠の中にたたずんでいます。

かつてここはペルシア湾の河口にほど近く、街のすぐ近くをユーフラテス川が滔々と流れ、周辺は緑豊かな肥沃な土地でした。

遺跡の発見は1854年、イギリス副領事テイラーが大英博物館の指示を受けて瓦礫の山に挑んだことに始まります。

このとき発見された楔型文字文書が専門家により解読され、この廃擴こそは『旧約聖書』に記されるアブラハムの故郷「カルデアのウル」のジグラットであることが判明した。

本格的な調査が行われたのはさらに半世紀後のことです。

イギリスの考古学者ウーリーの指揮のもと、大英博物館とペンシルベニア大学博物館が1922年から12年に及ぶ合同発掘調査を行いました。

この調査ではウル第1王朝の王墓から豪華絢燗な副葬品が出土して世界的な話題を呼んですが、ウルの神殿域からも貴重な発見が相次ぎました。

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歴代王朝の膨大な粘土板の公文書や各時代の住居跡の調査により、ウルという都市の全貌がほぼ明らかにされたのです。

ウルの街は外堀を巡らせた楕円形で、その周囲は外敵を防ぐ城壁で取り囲まれていました。

都市の大きさは長径が約1000メートル、短径が700メートルほどで、市域の北側を占めるジグラットを擁する長方形の聖域「テメノス」と、その周辺を取り囲むように市民は居住。

ウルの人口は最盛期で3万4000人ほどと考えられ、ウルの人々は神官や書記官などの支配層、あるいは宝石や木材、羊毛の加工技者、そして商人たちでした

ウルが同時代の都市と決定的にちがうのは、街の中に食樋を生産する人々がいないことです。

地下資源のないはずのウルの王墓から多様な玉石の遺物が発見されていることからも、ウルは対外的な交易で栄えていた国家であることがわかります。

周辺の肥沃な土壌を瀧祇して生産された農作物や、河や海の海産物、織物や日用品も、外から運び込まれて活発に商取引されたのである。

つまり、ウルは古代社会の大都会と呼ぶにふさわしい容貌を持っていた古代遺跡なのです。



月神の神殿だったウルのジッグラト

ウルのジッグラトの復元図/Instagramから引用

ウルは、紀元前3000年頃にはメソポタミアー帯からアナトリア高地に至る都市国家を影響下に置く事実上のシュメールの首都でした。

紀元前2500年頃ウル第1王朝の時代には、すでに街の中心部にジグラットのほか拝殿や宮殿などが建てられていたといわれます。

神権政治を進めたシュメール国家にとって、ウルのテメノスは特別な意義を持っていました。

テメノスは単なる「神聖な場所」ではなく、神殿は王が神事を執り行う場所であると同時に都市全体の会計や財産管理を行う場所でもありました。

またテメノスにある宮殿は軍事や外交をつかさどっています。

ウルのテメノスは、今でいう国家中枢機関が集まる「官庁街」のような存在でした。

現存するウルのテメノスは、紀元前2000年代の終わり頃、ウル第3王朝時代の王ウルナンムによる大がかりな工事によるになります。

前時代の小振りなジグラットを覆うように巨大なジグラットが増築されてきます。

「ウルナンムの建設碑」と呼ばれる当時のレリーフには、ウルナンム王が神から計測器を手渡され、王自ら工具を担いで建設に向かう姿が描かれています。

ウルナンムはメソポタミアの度量衡を統一し、大がかりな公共建築物を築造した王として知られています。

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現代までウルのジグラットが崩れ去ることなく遺されたのは、計測や数学、土木技術に長けたシュメールの土木技術の優秀さを歴史が裏づけたものといえるでしょう。

ウルのテメノスにそびえるジグラットは、シュメールの数ある都市国家の中でも最大級のものでした。

第1屑は1幅約40メートル、奥行き約60メートル、高さは約15メートルで、その上にひとまわり小さい第2層、第3層があったと考えられています。

正面にはとりわけ立派な中央階段があり、側面から伸びる小階段が第2層で交わって第3層へとつづき、

さらにはその上に築かれたウルの守護神「ナンナル」を祀るナンナル神殿につながっていました。

第3層及び頂上のナンナル神殿は崩れ落ちているものの、第2層以下は比較的保存状態も良く、今もその大きさをしのぶことができます。

ウルの王ウルナンムの印章:右にいる人物が月の神でウルの守護神「ナンナル」/Wikipediaより引用

ジグラットの重量を受け止める台座部分はとくに重厚な造りになっています。

日干しレンガの間に葦を挟んで瀝青と呼ばれる古代の天然アスファルトで固める工法で、一見窓にも見える壁面の穴は、水や湿気に弱い日干しレンガのための雨水の排出口になります。

外壁は賛沢な焼成レンガで補強されています。

その厚みは2.5メートルに及び外側には美しい装飾が施されていました。

岩石や木材のない泥と砂の大地に、巨大な建造物を築いたシュメール人の土木技術の先進性には驚くばかりです。

ジグラットの足元には「ナンナルの中庭」と呼ばれる露天の広間があります。

これを取り囲む何重にも仕切られた小部屋は、ナンナル神への奉納品の保管庫でした。

隣接する正方形のニンガル神殿は、ナンナル神と妻のニンガルを併せて祀るものだが、この床下からは宝石や金製品が多数出土しています。

ここは歴代の王によって幾度も増改築が行われ、王家の財宝の隠匿場所であったと考えられています。

テメノスの中央には「山の王宮」と呼ばれる王の住まいがありました。

ウルナンム王と息子のシュルギが造営したもので、壁や床は焼成レンガや金で彩られた美しい建物でした。

しかし、王宮は侵略者の格好の餌食となり、財宝は略奪され、破壊された後も再建されることはありませんでした。

ウルのジッグラトの本来の姿

ウルの神殿の再現イラスト/Instagramから引用

ジグラットの壁面には、かつては一面に色鮮やかな青い彩釉を施した焼成レンガが瀝青で貼りつけられていたと言われます。

ウルを象徴する色は「青」であり、これはウルの守護神である月の神ナンナルが、三日月を武器に持つラピスラズリのような青色のひげの老人の姿で描かれることに由来します。

ナンナルは、アッカド神話の月の神「シン」と同一神になります。

メソポタミアでは月の運行を基準とした太陰暦が使われていたため、シンは暦をつかさどる神でもありました。

暦とは時間であり、商人や航海者にとっては商いの重要な要素でした。

ウルがナンナルを信仰したのも、この都市がいかに交易と商業で発展した街であったかをうかがわせる一面でともいえるでしょう。

この街を訪ねた古代の人々は、ウルの青いジグラットをあおぎ見て、月神ナンナルの続くる都市の威光を感じ取ったことでしょう。

ウルは破壊されてはいつしか甦り再び隆盛するという特異な歴史をたどりました。

しかし紀元前2004年頃、イラン高原南西部を拠点に勢力を伸ばしていたエラム人によってウル第3王朝が倒されると、その後は急速に衰退していきます。

エラム人による支配は数年で終わりを告げるが、もはやウルには首都に返り咲く力は残っていませんでした。

ほどなくしてウルは単なる地方都市に成り下がり、そして、いつの間にか人々に打ち捨てられ、廃嘘となって忘れられてしまったのです。

現在、ウルはイラクの領内に属し、ウル遣跡のある場所はテル・アルムカイヤル(瀝青の丘)という名で呼ばれています。

湾岸戦争で多国籍軍の戦闘機が放ったミサイルが近くに着弾し、人類の遺産というべきウルのジグラットの左側側面には、大小合わせて400もの穴が空いてしまっています。

現地の係官によると、駐屯兵による遺跡の盗掘も起きているといいます。

依然政情不安なイラクでは、観光はもちろんのこと、調査目的であっても入国することが難しいでしょう。

一刻もはやく平和が戻り、誰でもウルの神殿を訪れることができる日がくることを願うばかりです。

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