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インダス文明の発祥と滅亡―謎多き文明の実態とは?―

インド北西部、パキスタンとの国境近辺にはインダス川という大河が流れています。

古代文明誕生のきっかけには大河の恵みよって生まれたという例は多いですが…

インダス川もその例外なく、この川の近辺にも古代文明が誕生します。

その名も"インダス文明"

インダス文明は今から6500年前、この地に芽生えた農耕文化はやがて一大文明を築き上げることになりますが…

実は謎もかなり多い文明でもあります。

一体、インダス文明とはどのような文明であったのか…

まずは、その概略に迫っていきたいと思います。

インダス文明の萌芽と元となる文化

ハラッパー遺跡から出土したミニチュア土偶:紀元前4500年頃から土器や土偶などが現れ、次第に独自の文化へと発展する/Wikipediaより引用

現在のパキスタン、バロチスタン地方で農耕で行われるようになったのは、紀元前7000年頃と言われています。

この頃成立した最古の遺跡であるメヘルガルからは大麦・小麦。ナツメなどの種子が発見されており、また、牛・羊・ヤギなどの家畜がいたことも判明しました。

農耕・牧畜生活を行っていた当時の人々の家屋は日干しレンガで築いており、時代が降るにつれて日干しレンガが徐々に大型化していきます。

その後、紀元前4500年頃から土器や土偶などが現れ、次第に独自の文化へと発展していきます。

紀元前3000年頃になると集落のまわりに周壁が築かれ、都市への発展が見られるようになりました。

バロチスタン丘陵地にあるラフマーン・デーリという遺跡では成立当初から周壁で囲まれており、街を統治する権力の萌芽を見ることが出来ます。

またおなじ頃、インダス平原にはコート・ディジー文化が発祥します。

この遺跡からは土器の文様や規格化されたレンガなど、後のインダス文明という共通する出土品が多数発見されます。

このことからコート・ディジー文化がインダス文明の直接の祖先のひとつの可能性が高いと考えられました。

またコート・ディジーはインダス文明の都市によくみられる城壁部と市街地が分離しているという特徴もあり、インダス文明との関連性が強いと言われています。

インダス文明の誕生と繁栄

モヘンジョダロの大浴場こと沐浴施設/Wikipediaより引用

そして紀元前2600年頃、インダス川とかつてあったガッガル・ハークラー川を中心として、遂にインダス文明が誕生します。

インダス文明期の代表的な遺跡としては、モヘンジョダロ・ハラッパ―・ロータルなどが挙げあられます。

これらは総じて厳格な都市計画に基づいて建てられており、都市建設を指導する強力な権力の存在があったと考えられます。

しかし、その一方で王宮や墳墓など、権力者の存在を示す遺跡は見せられないことから、これらの都市は複数の神官たちによって治められた宗教都市であったと言われています。

インダス文明の各都市は、農耕のみならずメソポタミアとの交易も行い繁栄していきました。

しかし紀元前2000年頃になると衰退していき、紀元前1800年頃にはインダス文明は滅亡しています

インダス文明の衰退と名残

アッカドのシャーカリシャリ王子と召使いの碑文:長い角の水牛はインダス文明が由来とされ、インダス文明の文化が他地域でも継承されたことを物語っている/Wikipediaより引用

インダス文明の滅亡の理由については詳しく分かっていませんが…

一説には地殻変動でガッガル・ハークラー川が干上がり、またインダス川の流路が変わったためというのが有力視されています。

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